奇妙な童話シリーズ■内藤更紗

tamatoタイトルtomatoイラスト


僕がはじめてトマトを見たのは
たしか幼稚園の前を通りかかった時のこと
僕と同じ年頃のこどもたちが
赤いものをぶつけあって遊んでいた
胸も手も真っ赤だったが
もっと赤かったのはその子たちの頬だった


背丈の順に並んだ入学式で
前の男の子が僕を見てはにかんだ
頬がトマトの色をしていた
その子は胸からそっとトマトを出すと
おずおずと僕に向かって差し出した


つるんとしたつめたい感触
てのひらにすっぽりと入るその重み
ありがとうと言って受け取り
そのままなんとなく黙っていると
その子は急に泣き出して
僕からトマトを奪いかえした
アイツ ヒデエナ
背後から声が聞こえた


宿題のモンシロチョウをとりにアブラナ畑に行ったら
同じ組のしんちゃんに会った
ちっともとれないしんちゃんに
チョウを2匹わけてあげた
しんちゃんは嬉しそうにトマトをふたつ差し出した
僕はいっしょに食べようと言い
ひとつずつ、僕としんちゃんのてのひらに乗せたら
しんちゃんはすごい勢いで僕を突きとばして
そのまま家に走っていった
オマエナンカ キライダ


誰も僕に話しかけない
僕はクラスでひとりだった
どうしてなのかわからない
僕はいつもひとりで遊んだ
校庭の木に1本ずつ名前をつけて
レンガの塀の数をかぞえて



その日も僕は廊下の隅で
なんとはなしに空を見ていた
目の前を女子がふたり通りかかる
ひとりが胸からトマトを取り出し
もうひとりが笑いながら自分もトマトを取り出した
お互いのトマトを交換して
ふたりはふふ、と笑みをかわした


僕は教室に走りこんだ
いままで、少しも気づかなかった
クラスメイトたちはあちこちで
仲のいい子とトマトのやりとりをしていた
キャッチボールがわりに使っている子たちもいる
バケツ一杯のトマトを投げ合って
みんなとても楽しそうだ
ああすればいいんだ


僕はおこづかいを持ってスーパーに行った
でも野菜売場にトマトがない
僕は近所の八百屋にも行った
トマトはどこ?と訊いた僕に
おばさんは笑ってとりあわなかった
ソンナモノハ ミセニハオイテナイヨ


僕はおとなしそうな女の子を選んで
できるだけさりげない口調で訊いた
そのトマト、誰にもらったの?
やすこちゃんと交換したのよ
じゃ、やすこちゃんにあげたトマトは?
その子はまじまじと僕を見つめた
ナニイッテルノ?ミンナ、モッテルデショ


僕は走って家に帰った
でも冷蔵庫にも入っていないし
僕の机の引き出しにだってやっぱりない
そもそも僕はトマトを食べたことがなかったのだ
それがどんな味をしていて
食べたらどんな気分になるかも知らない
それなのに
それがトマトなのだということだけはなぜか知っていたんだ


僕はふらふらと外に出た
2軒となりの家の前でタクシーがすうっと停まる
車から生まれたての赤ん坊を抱いた女の人が出てきた
かばんをいっぱい持った男の人も出てきた
ふたりは僕の目の前で
それぞれの胸からたくさんのトマトを取り出して
赤ん坊のおくるみの中に入れる
おとうさんのトマトと
おかあさんのトマトで
小さなおくるみははちきれそうだった


僕はパパとママのいる部屋をノックした
でもいつもと同じで返事がない
僕は思いきり声を出して叫んだ
こだまが廊下に反響した
ドアにはほこりがたまっている
この10年間開けられたことのないドアだった
僕はうなだれる
開いたからってトマトがもらえるとはかぎらない


僕は保健室に逃げこんだ
悲しいときよくここにくる
やさしい顔の先生がどうしたの、と僕に訊いた
僕にはトマトがないんです
おとうさんはおられないの?
おかあさんはおられないの?
いいえ、と僕が答えると
先生はやさしく僕に言った
それじゃ、あなたが気づかないだけよ
僕はもっと悲しくなった


校庭ではみんながサッカーをしている
僕は遠くでそれをぼんやりながめていた
トマトなしでこの先やっていけるのだろうか
でもやらなければならないのだ
誰ともトマトのやりとりをしなければいい
一生ひとりで生きていけばいいのだ
校庭の木に1本ずつ名前をつけて
レンガの塀の数をかぞえて



ボーイスカウトに入っているというひであきは
勉強も運動もよくできた
リレーでバトンをわたすと決まってから
僕はどきどきして眠れなくなった
あすは運動会というその日
練習中に彼は転んで足をくじいた
くやしがる彼に肩をかして
僕たちは夕暮れの道を歩いた
彼の家の門の前で
ひであきは胸から3個もトマトを取り出して
僕にぐっと押しつけた
言葉も出ず彼を見つめる僕の前で
ひであきの顔がぐしゃぐしゃにゆがむ
彼はトマトを地面にはたきおとすと
涙の目で僕をにらみつけた
オマエハ トマトヲクレナイノカ
ソンナヤツトハオモワナカッタ!


たった1個でいい、僕はトマトが欲しかった
自分のためじゃない、ひであきのために


僕はいつかの赤ん坊の家に忍び込んだ
ブロックの塀を乗り越えると
中庭には大きなトマトの樹が枝をひろげている
つやつやとほほえみかける真っ赤なトマト
僕は思わず手を伸ばした
本当だ、本当にたった1個でよかったんだ
ドロボウ!ドロボウ!
家の人の叫び声がした


ゴメンナサイ、トマトガホシカッタンデス
ウソツキ!トマトナンカ、ホシイワケガナイ
ソンナモノ、ミンナ、ハジメカラモッテルジャナイカ
ウソツキ!
ウソツキ!!


誰も信じてはくれなかった
僕がトマトを持っていないなんて


誰も知ろうとはしなかった
トマトのない人間がこの世のなかにいるなんて



僕はノリとハサミを使って
僕のトマトをつくりはじめた
古新聞を芯にして糸でぐるぐる巻きにして
布をかぶせて絵の具を塗った
ぶかっこうでごつごつしている
でもそれはぼくのトマトだ
僕のはじめてのトマトだった
僕は3日徹夜をして
はじめてのトマトを完成させると
一目散にひであきの家に行った
ナンダ、コレハ!
彼はそれをまともに僕の顔にぶつけた
フザケンナ!コンナキタナイモノ、トマトジャナイ


おい、見たか?あいつのトマト
笑えちゃうよ
形なんかボコボコでさ、さわるとへこむんだぜ
ミットモネーヨナア
ミットモネーヨナア


誰も知ろうとはしなかった
ミットモナイトマトがどうやってつくられたかを
でもそれはしかたがなかった
確かにそのトマトはミットモナカッタのだから
言い訳をしてもしかたがない
僕は自分の腕をみがこうと決めた


僕はいろんな材料に挑戦し
何度も何度も失敗して
やっと会心のトマトをつくった
色も形もトマトそのもの
てのひらにすっぽりと入るその重み
青臭い夏の香り
宿題を届けにきたひであきは
目を輝かせてそれを受け取り
胸からトマトを取り出して僕にくれると
嬉しそうにかぶりついた
ナンダ、コレハ!
ひであきはトマトを吐き出し、すごい力で僕をなぐった


フザケンナ!コンナ、ニセモノ、ヨコスナンテ
ミンナガナントイッタッテ、オレハオマエヲシンジテイタノニ
オレハ、オマエヲ、シンジテイタノニ・・・
ミソコナッタヨ、オマエナンカ
顔をそむけて去っていくひであき
尻もちをついた僕の下で、彼のトマトがぐしゃっとつぶれた


生まれてはじめて僕は泣いた
あとからあとから涙があふれた
もうどうすればいいのかわからない
ごめん ひであき にせものでごめん
でも僕にはトマトがない
君にあげるトマトがない
涙がぼろぼろぼろぼろこぼれる
つぶれたトマトに涙がかかる
ぐじょぐじょになった赤い残骸は
まるで僕を見ているようだ
僕は夜どおしずっと泣き続けると
いつのまにか眠りこんだ


どれほど時間がたったのだろう
青臭い夏の香りで僕はめざめた
チュンチュンとスズメの啼く声が聞こえる
朝の光のなかに
僕はふしぎなものを見た
地面に落ちたトマトの残骸からきれいな緑の芽が出ているのだ



トマトはぐんぐん成長して
赤いたわわな実をつけた
茎はどんどん太くなり
僕は特大の藤棚をつくって枝をあげた
枝はするするとどこまでも伸びて
何百、何千とトマトを実らせた
赤くて丸い球 緑のガク
つやつやとなめらかな肌 ぷりんとした弾力
そして青臭い夏の香り


僕はクラスメイトにトマトをあげた
隣組のしんちゃんにもあげた
赤ん坊のいた家にも、八百屋のおばさんにも
僕の知るみんなにトマトをあげた
そしてもちろん、ひであきにも
僕の持てるかぎりのトマトを贈った
ひであきの頬がトマト色にそまる
僕たちは川の堤にすわってトマトを食べた
生まれてはじめて食べたトマトは
遠い国の味がした


僕は海岸からトマトを流す
世界中のこどもたちへ
世界中のおとなたちへ
トマトのなかったすべてのひとへ
何千、何万というトマトを流す
沿岸がトマトで埋めつくされる
太平洋へ、大西洋へ、インド洋へ、オホーツク海へ
海流にのせてトマトを流す
海がトマトで埋めつくされたら
地球は真っ赤な星になるだろう
つやつやとしたなめらかな肌
青臭い夏の香りのする惑星は
宇宙に漂うひとつのトマトだ






tomato小イラスト
TOMATO  了 



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