光の庭 内藤更紗

船出

第3章 光芒



 玲の唇が離れてから、僕は半信半疑で思わず彼の顔を見た。彼の目は不思議な色をして僕を見つめている。僕が口を開きかけたとたん、もう一度彼の唇が触れてきた。小鳥のおしゃべりのように、軽く、何回も。あまりそれが無邪気だったので、僕は彼が、子供の頃のように遊んでいるんじゃないかと思ったほどだ。
 それから彼は僕の首の後ろに腕を回し、目を閉じてゆっくりと唇を重ね、少し吸った。やわらかい感触とコロンの香りがふわりと僕を包む。夢のようだった。蜜の味のする、永遠に終わらない極上の夢--僕は赤子が乳を求めるように夢中で彼の唇をむさぼった。少し開いた歯を割って、舌が入ってきた。
 それはあたたかく湿っていて、生き物のように動いた。そしてゆっくりと僕の中を這いまわり、横たわった僕の舌を探しあてた--舌と舌が触れあった。熱い、深い愛撫が始まり--僕の全身が火に貫かれた。脳髄から足の爪先まで火柱が燃え上がる。背骨の一本一本がぎしぎし鳴っている。のどがからからに乾いた。
「--玲」
 僕はかろうじて声をあげた。
「待ってくれ--でないと」
「でないと?」
 彼は僕を見つめた。僕は真っ赤になっていただろう。
「--めちゃめちゃにしちまう、君を」
 玲はほほえんだ。
「それは困る」そして首すじに顔を近づけて、ささやいた。
「僕がきみをめちゃめちゃにするんだ」





 ほの暗い寝室にラベンダーの花が香っている。スタンドの光がシーツにやわらかな影を落としていた。玲が僕の手を取って隣に座らせたときも、僕はまだ呆然としていた。
「徹」
 玲の指が僕の髪に触れる。
「きれいな髪だ--僕が君の真っ黒な髪にどんなに憧れていたか、君は知らないだろう」
 何だって?
「小さい頃から身体の弱かった僕に、君の健康でしなやかな身体がどんなにうらやましかったか。君は僕のヒーローだった」
「初めてだね--そんなふうに言うの」
「うん。ちっぽけなプライドってやつがじゃましててね・・・・それに、怖かった」
 玲は片方の口の端を上げて笑った。ぼくもつられて笑いながら聞いた。
「怖い?」
「本心を知られるのが--ぼくは君を愛していたから」
 心臓がとまった。
 今度こそ、これは夢じゃないのか。
 目覚めたらあとかたもなく消えてしまう夢じゃないのか。
「--ずっと前からなんだ。君が僕を意識する、もっとずっと前から」
「玲」
 声がかすれた。
「じゃなぜ--」
 彼は目をきつく閉じた。
「僕が同性愛者で、君に下心があるなんて君に知られたら--」
 低い声だった。
「--死んでいた」
 僕は息を飲んだ。
「でも、僕が君を好きだって言ったときも君は、違うって・・・・」
「うん。--すまなかった。--君を、僕の場所まで堕ちさせたくなかった・・・・なんて言い訳がましいけど--本当はね」
 彼は僕に顔を向けて、ほほえんだ。
「やっぱり怖かった。とてつもなく怖かった。君が少しでも僕に触れたら僕は爆発しそうだった。爆発して、真っ暗な淵をふたりでまっさかさまに落ちていくんだ」
「じゃ--さっきのキスは?--爆発した?--僕は爆発したよ、玲」
 身体はまだ火照っていた。
「徹」
 彼の目がうるんだ。
「僕はもうとっくに爆発してる」
 僕は彼をベッドに押し倒した。





 僕は玲の顔といわず首すじといわず、至るところにキスの雨を降らせた。そのままガウンの前をはだけて唇を胸に這わせる。白く滑らかな薄い皮膚、なだらかな丘の上にぽっちりとふたつ、薄紅色をした乳頭があった。舌の先でとらえて転がすと処女のように固くしこり、ツンととがってくる。かすかに彼の呻き声が聞こえた。
 帯を解くのももどかしく、玲の下着に手をかける。全身が震えた。--やわらかな薄茶の茂みのなかに彼のペニスがあった。熱くたぎって、いまにもはちきれそうに僕を待っている。僕が欲しかった玲の、気が狂うほど欲しかった玲の、ペニス。僕の、僕だけの、ペニス--僕はそっと口に含んだ。ばら色の割れ目を舐め、軽く唇をすぼめてくわえ、それから思いきりずっと奥まで--喉の奥まで含んで口腔全体でしごいた。彼のペニスが僕のなかで声をあげてもだえた。むせかえるような香り。熱い。火傷しそうに熱かった。僕の全身も炎のようだ--いや、僕の方こそ、もう我慢できなかった。
「玲--」
 僕は唇をゆっくり離し、彼に呼びかけた。--が、何と言っていいかわからない。彼は察したようだった。
「いいよ--好きにして」 
 僕はTシャツをかなぐり捨て、ジーパンと下着を一気におろして全裸になった。浅黒いペニスがはがねのようにそそり立っている。僕は玲の腰を持ち上げ、身体を二つに折った。目の前に彼の白い尻と、ピンク色に閉じたアヌスがあった。僕はペニスの先を押しあてると、勢いをつけてぐっと差し入れた。
「う・・・・」
呻き声が聞こえた。入れたはずのペニスが押し出されて戻ってくる。もう一度、今度は角度を変えて、思いきって突いた。手応えがあった。
 それは思いがけないほど狭く、固く締まった隧道だった。僕は大きく息を吸って、奥に向かってぐいっと突いた。快感がびりびりと全身を貫く。--膨張したペニスの先を、これでもか、これでもかと締めつけてくる筋肉の塊。砲身をぴったりとくわえながらぶるぶる震えている粘膜--彼の粘膜。僕は無我夢中で突き進んだ。暗闇のトンネルを掘り進む掘削機のように。ペニスの先はドリルだった。固い岩盤を掘るたびに先端がずい、ずいとしごかれる。気が遠くなりそうだった--まだだ--まだ--根もとまで入った。もっと、もっと、もっと奧へ--僕は腰をぶつけるようにしてたて続けに彼を突いた。一回、二回、三回、四回--なまあたたかいものがぬるりと触れた瞬間、目の前が真っ白にスパークした。僕は快感の頂点で射精した。



 --その後何秒か、僕はそのままの姿勢で放心していたらしい。玲が僕を呼ぶ声が聞こえた。僕は彼にキスしようと、身体を離した。小さくなったペニスを抜いたとたん、僕は息を飲んだ。
 ペニスも、アヌスのまわりも、血まみれだった。--しかも、まだじわじわ--彼から流れ出している。
 一瞬、ペニスに怪我をしたのかと思った--が、そんなはずはない。僕に痛みは全くなかった。これは玲の血だった。たった今、無理矢理貫いた玲の--
「徹」
 彼が僕を呼んだ。白い顔がばら色に上気して、額に玉の汗が浮いている。
「玲、大丈夫か--ごめん」
「何が?」
「ものすごい出血だ--どうして途中で言わなかったんだ。痛くなかったのか?」
「君は?どうだった?」
「僕が痛いわけないよ--良かった。最高だったけど--」
「だろうと思った--君がイッたときね、熱かったんだ--君の精液」
 僕は言葉につまった。
「熱いのがビュッてさ、僕の身体の中に入って・・・・僕は嬉しかった。--そりゃ少しは痛かったけどね--徹」
「--何?」
「君が最高だったなら、僕だって最高に決まってる」
 --胸がつまった。
 僕はもう一度彼を押し倒し、接吻した。





 長い接吻が続いていた。僕の舌は玲のやわらかな唇を割って入り、歯を舐め、舌を絡ませた。一方の手でそのペニスを握り、徐々に力を込めてしごいた。そのたびに白い顔がぱあっと上気し、呻き声が洩れる。その声を唇でふさぐと、息づかいがいっそう激しくなった。ペニスは熱く脈うっている。もういい頃か--僕は彼の耳元でささやいた。
「玲--頼みがあるんだ。僕にも君の--ミルクが欲しい」
 彼はいぶかしげに僕を見た。
「いいだろ?僕の身体に--入れてくれ」
 これで、と僕はペニスを握った手に力を込めた。
「--わかった」
 僕はうつぶせになった。その方が顔を見られずにすむ。行為中の表情を見られるのは恥ずかしかった。
 玲が後ろにまわって僕の腰を持ち上げた。アヌスに息がかかる。あたたかく、湿った舌の感触がくすぐったい。ああ湿らせているんだなと思うまもなく、何か熱いものがあてがわれ、次の瞬間--激痛が走った。思わず前のめりに逃げそうになる腰をひきもどされ、また--脳髄をがつん、とやられたような衝撃、斧で尻が割られ、杭を打ち込まれるような鋭い痛みが立て続けに襲いかかってきた。
「・・・・か?」
 遠くで玲の声がする--頭が割れ鐘のようにがんがんして、とても答えられる状態じゃない。
「--徹、大丈夫か?」
「ああ--平気だ」
 僕は笑顔をつくった。そのとたん--身体がまっぷたつに引き裂かれたような激痛に貫かれた。僕はシーツに顔を押しあてて叫び声をこらえた。
 身体中のすべての血がアヌスの一点に集まって燃えていた。どくん、どくんと痛みが走る。頭ががんがんする。息もできない。凶暴な獣に身体の中から喰い破られているみたいだ。地獄の痛さとはこのことか--と思った瞬間、僕は恥も外聞もなく絶叫していた。



 気がつくと、いつのまにか嵐はやんでいた。アヌスはまだずきずき痛み、何かが中にぴったりと入っている感触があった。僕は横向きに寝かされていて、後ろから彼に抱きかかえられていた。彼のまわした腕が僕の目の前にある。そこには僕の歯型が生々しく残っていた。
「気がついた?」
 耳元で声がした。
「--うん」
 僕は口惜しかった。彼に耐えられたことが僕に耐えられなかったのだ。僕は痛さのあまり失神し、彼は途中で射精をやめた--僕は彼を満足させられなかったのだ。
 泣きたかった。
「玲--僕はこれまで、空想の中で何度も君を裸にして、抱いた。抱かれた夢も見た。何度も何度もだよ、数え切れないくらい--それなのに、現実の君を前にして--」
「徹」
 彼はやわらかく遮った。
「それなら僕だって同じだ--僕がいつも君を見て何を考えてたか、知ってるかい?--君のペニスがどんな形をしてるだろうって、そればかり考えてた」
 そう言って彼はそっと僕のペニスをてのひらで包んだ。そして静かに愛撫した。彼に抱かれ、繋がったままの姿勢で、僕のペニスは充血しはじめた。すると僕の身体の中の彼のペニスも感じはじめた。彼の息づかいがだんだん早くなる。ぴったりと密着した薄い皮膚を通して、彼の心臓の鼓動が背中に伝わった。彼の腹部が大きく波うっている。僕は目を閉じた。アヌスの鈍い痛みがじりじりと快感を増していく。思わず僕がのけぞると、彼が耐えきれず呻き声をあげる。熱い息が耳にかかる。僕の興奮は彼を高め、彼の欲望は僕を導き、僕たちは一対の光芒となって天空に昇りつめた。そして抱きあったまま同時に、ゆっくりと果てていった--深い夜の吐息のように。





 どこかで人の話し声がする。低くて穏やかな--あれは誰だろう・・・・



 翌朝、僕はまだ夢の中にいるような気分で目覚めた。半身を起こすと、開け放した窓にくっきりとシルエットが浮かんだ。
「おはよう、朝食がきてるよ」
 --いつもの玲だった。



「夕べはよく眠れたかい?」
 ルームサービスのパンに片手でバターを塗りながら、玲がしれっと聞いた。
「ひばりかな?鳥の声がすこしうるさかったみたいだね」
 僕はやりかえした。
 玲はにっこりした。
「今後のことだけどね」
 僕は緊張した。今日は弁護士に会いに行って、相続の書類にサインして、そのあとは別々に生きていこう--なんて言われるのだろうか。--昨夜は楽しかったよ、なんて--
「元専務だった片桐さんに電話した。仕事の方はここ当分休暇をもらったんだ、医師の診断書つきでね--宮崎でもどこでもいい、気に入った土地に家を借りようか。小さな庭つきの--そして--」
「玲」
 僕は急いで遮った。
「--何を言ってるんだ?」
 彼は黙って器用に卵の殻をむきはじめた。
「--つまり」
「つまり?」
 僕はたっぷり三分間は待った。彼が殻をきれいにむきおえるまで。
 彼は観念して、僕に向き直った。
「--僕は君に、プロポーズしているつもりなんだが--」
「玲--残念だけど・・・・」
 彼が目を見開いた。
 僕はにっこりしてみせた。
「僕が君にプロポーズするって決めてるんだ」



 その後のことは言うまでもない。僕たちはもう、お互いなしでは一秒たりと生きていられなかった。これまで離れていられたのが奇跡のような気がする。
 僕たちはお互いの身体の手当をし、荷造りをしてホテルを出た。どこかで鳴き交わす鳥の声が聞こえる。玲が僕を見てぷっと吹き出した。可笑しくてたまらないというように顔を隠して笑っている。
「--ひばりはないよなあ」
 僕は耳まで真っ赤になった。
 僕たちはもつれあいながら、朝陽に向かって歩いていった。





光の庭  了 


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