埋火 内藤更紗
埋火
埋 火

40


「・・・幽霊を見るような目で見るのはやめてくれないか」
 玲は俺の顔色を見て、ため息をついた。
「--なんでここがわかったんだ」
「そりゃね、--急にホテルに呼び出されれば、誰だって変に思うだろう」
「--」
「君のマンションから、つけてきたんだ」
「じゃ--」みんな、聞かれていたのか。
「俊男」
 玲は落ち着いた声で言った。
「宮崎に帰って、仕事のあてはあるのか」
「さあ--別に、何とかなるだろう」
「--今の会社が不満か?」
「いや、--別に」
「だったら」
「・・・一身上の都合、てやつだよ--わかっただろ、今の電話で」
 俺は笑った。
「早い話が、--おまえに振られたから帰るの。--はっきりしてていいだろ」
 彼が押し黙る。
 否定してくれないのか、--そりゃそうだよな。俺は苦笑した。
 この期に及んで俺は何を期待してるんだろう。すがりついて、行かないでくれ、愛してるなんて彼に言ってほしいのか。--ばかばかしい。
 はじめっから--玲は俺なんか眼中になかったじゃないか--
 俺は未練がましい自分にうんざりした。
「玲--訊きたいことがあるんだ。昔のことなんだけどさ」
 彼が睫毛をあげて俺を見る。
「あの雨の日--ほら、名神で事故のあった夜--覚えてるか?」
 玲は微笑んだ。
「あの日の--明け方に、おまえは夢で誰かの名前を呼んでいたんだけど」
「--僕が?」
「うん。--誰の夢を見ていたのかなって--思ってさ」
 彼は困惑した顔になった。
「あの日って--4カ月以上も前だろう、・・・覚えてないよ」
 そうか--そうだろうな。俺は苦笑した。
「最初の言葉が、か、って聞こえてさ、--それを俺が徹にしゃべったもんだから、あいつが、カズヒコに違いないって、思い込んじまったんだ--ごめんな」
 玲の目が、大きく見開かれる。
 その表情が思い詰めたようなものに変わり、やがてふっきれたような意志の強い線に変わっていく様子を、俺は驚いて見つめていた。
「--俊男」
 低い声だった。
「それは--和彦だったのかもしれない、雨の日だったのなら」
 何だって?
 呆然とする俺の前で、玲は続けた。
「僕は彼のことを、忘れてはいない。--きっとこれからも、忘れられないと思う」
「--」
「でも、それは僕にとって過去の思い出なんだ。過去だけにある、綺麗な思い出のひとつなんだ」
 玲はまっすぐに俺を見た。
「僕は過去に逆戻りして迷ったりはしない--俊男」
「--」
「君がそれを教えてくれたんだ」
「--え?」
 玲は微笑んだ。
「君はいつも自由で--僕みたいにくよくよといつも昔のことにとらわれてなんていなくて、明るくて--強かった」
 そりゃ--世間の荒波を自力で泳ぎ渡っていれば--と俺は言いかけた。
「僕はいろんなことを君から教えられた。--だから」
「--」
「僕にとって君はとても大切だった」
 --え?
「君を離したくなかった--どんなことをしても、離したくなかった」
 --玲・・・
 俺は蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。背中にびっしょりと冷や汗をかいている。
 玲はついと、俺から目をそらした。
「・・・君が僕を求めたから、・・・僕は君の恋人になった。月に1度ではあったけど--僕にはそれしかできなかった。僕には--徹がいたから」
 --玲。
「俊男」
 玲は真正面から俺を見つめた。
「これ以上僕が、君に行くなと言うのは無理か?」




41


「・・・玲」
 俺はやっとのことで、喉から声を絞り出した。
「--俺に何をさせたい?」
「--」
「俺はおまえにとって何だ?」
「--」
「ボディ・ガードか?愛人か?セックス・フレンドか?」
「--俊男」
「--これ以上おまえのそばにいて--1/30のお情けのセックスにありついて、それで満足してろっていうのか?」
「--」
「--おまえは忘れてる、--俺はおまえに、一緒に暮らそうと言った。--徹からおまえを奪って、俺だけのものにしたいと思ったんだ。--おまえにそれができるか?徹と別れられるっていうのか?玲」
「俊男--」
「--徹はどうだ?あいつはおまえと和彦のことを誤解して--おまえを抱けなくなるぐらいに、おまえに惚れてるんだぞ。おまえは自分が信用されてないって思ってプライドが傷つけられて不愉快なのかもしれないが--嫉妬されるってことは、それだけ惚れられてるってことだろ?惚れられてない方がいいっていうのか?」
「--」
「・・・考えてみろ、玲。俺の役割がどこにあるのか。--おまえほど頭のいいやつなら、わかるだろう」どこにもないっていうことが。
「役割なんて、どうだっていい!」
 玲が叫んだ。
「僕にとって、俊男は俊男なんだ。何かをさせたいわけじゃない。俊男がそこにいるだけでいいんだ。--誰にもかわりなんてできない!」
「--玲」
 彼が俺を見つめている。
「・・・そばにいてくれないのか」
 吸い込まれそうな瞳。 
「どうしても--行ってしまうのか」
 乞うようなまなざし。
「どれほど頼んでも駄目か」
 俺の、世界。
「俊男」
「・・・玲」
 見つめ合った俺たちの耳に、コツコツと聞き慣れた足音が近づいてきた。



 広大なロビーの雑踏の中を、徹がまっすぐに歩いてくる。
 漆黒の髪、浅黒い肌、しなやかな獣を思わせる引き締まった身体。
 彼は俺たちの前まで来ると、玲に向かって微笑みかけた。
「徹--俊男が電話で何を言ったか、知らないけど--」
 玲が口をとがらせる。
「--電話?僕は何も聞いてないよ」
「--」
「--僕が馬鹿だったっていうこと以外は」
 玲の顔にぱあっと朱が散った。徹は静かに玲の肩を抱き寄せ、その唇にゆっくりと接吻する。--それから俺の方に向き直り、人なつこい笑顔を見せた。
「帰ろうか、--僕、腹減っちゃったよ」




42


 その後、俺はもう玲を抱くのをやめた。1/30から0/30になったわけだ。理由は明らかだった。玲はおそらく、俺が求めれば求める分だけ、俺を受け入れてくれるだろうということがわかったからだ。そしてどれほど俺を受け入れようと、彼は100パーセント徹のものだった。
 俺は以前と同じようにふたりと行動を共にし、玲のボディ・ガードを務めている。そして時にはドライバーになり、時には雑事を引き受ける。 
 人は俺を意気地なしの根性なしと言うかもしれない。心の底から惚れた男に指一本触れられず、ボディ・ガードに甘んじている俺を。しかし俺は、自分が意気地なしの根性なしで良かったと思う。そうでなければ、俺はどれだけ玲を悲しませただろうか。
 俺は徹に負けたのだと思う。玲の中の徹に負けた。だがそれは何て気持ちのいい敗北だったことだろう。もし勝っていたなら、俺はどんなに後ろめたかっただろう。
 俺が毎月抱いていた頃は職場でポーカー・フェイスを決め込んでいた玲が、今は疲れた時に俺の肩にことんと頭をあずけて眠ることがある。少しだけ俺に甘えた仕草を見せるようになった。そのささやかな変化が、俺には天に昇るほど嬉しい。どんなかたちであれ玲が俺を必要とするなら、俺はずっと彼のそばにいようと思う。誰にも甘えられずに生きてきた彼の、俺は玲が安心してその肩で眠ることのできる、世界で2番目の男になろうと思う。
 そして俺はいつもそばに玲を見、彼を見ることで世界とつながっている。根なし草のように気ままで孤独だった俺の人生を、初めてしっかりとつかまえて岸につなぎとめてくれた玲。衣も鎧も脱ぎ去った素裸のままの俺自身を見て、包んで、俺を必要だと言ってくれた玲。
 俺はときどき徹の前で、ふざけて玲の唇を盗んだりする。玲は笑って俺のキスを受ける。徹は俺を灼くふりをする。
 いいだろう?徹。--俺だって、いつでも聖人君子ってわけじゃない。





埋火  了 

TOPに戻る