第2話 菜の花 ■ 内藤更紗
菜の花タイトル


「え、なに手術って」
 浩の声が1オクターブ上がる。
「いや、大したことじゃないんだ。身体から石を取り出すだけだから」
「だってメス入れるんでしょ」
「何カ所か穴あけるだけ。心配いらないって。それよりごめんな、ゴールデンウィーク」
 約束してたのに。


 つきあいだしたのは桜の季節。
 何度か花見に行こうって言っていたのに、いつも僕の仕事が押してだめになった。
 やっと受注の波がひいたこのゴールデンウィークに
 僕は郷里の湖畔でオートキャンプをしようと浩を誘っていた。
 そこは近くにとても広い菜の花畑があるんだ。


 ふわふわ ふわふわ
 雲のように何層にも重なるイエローの海を帆かけて進む船のように
 僕は彼とふたりで一日中走ってみたかったんだ。


「新さん、それで、付き添いや何かは?」
「いや、入院ていっても2日だけだし、あとは家で寝てるだけだから」
 ひとり暮らしだから、病室よりよほど静かで落ち着ける。
「おれ、行こうか」
「いいよ、そんな大げさなもんじゃないって」
 寝たきりで不精ヒゲを伸ばした姿なんてとても見せられない。
「せっかくの連休だろ、浩もハネのばしたほうがいいんじゃないか。
 また遊べるようになったら連絡するから。ね?」
 浩はつまらなそうに足もとの地面を蹴った。


 無影燈は巨大な昆虫の眼のようだ。
 手術台に乗せられて両腕が固定される。
 左手の点滴から麻酔薬が全身に流れ込む。
 僕はひとりだ。 こんなことははじめてじゃないのに
 いつも僕はひとりだと感じてしまう。
 手術台の上。
 ゆっくりと意識が遠ざかっていく。


 ふわふわ ふわふわ 菜の花の海を泳いでいく
 あれは誰の背中だろう。


「新さん」
 目を開けたとたん、浩の顔が目の前にあった。
「よかった。予定より30分も長くかかったから心配しちゃった」
 にっこりと笑って声をひそめる。
「実はさ、弟だって言って、先生にいろいろ説明してもらったんだ。もう大丈夫って、それで」
 ポケットから取り出したものを僕の目の前にかざしてみせる。
「これももらっちゃった。手術で取り出した石」
 透明な容器の中で、小さな深緑の石がからからと音をたてた。


 ひと晩あけた退院の日は、まだ前かがみでそろそろと歩くのがやっとだった。
 情けない僕の姿を見かねたのか、浩が車を出してくれる。
 前もって荷物も家に運んでおいてくれていた。
「悪いね、いろいろ迷惑をかけて」
「なんで?・・・水くさいよ、そんな言い方」
 彼が大きな目で僕を見る。
「新さんてさ、・・・ひょっとして、邪魔なわけ?おれのこと」
「そうじゃないよ」
 そうじゃないけど。


 僕は、たぶん、怖いのだ。
 こんなにも急に浩に近づかれることが。
 僕の心の奥ふかくまで入り込んでこられることが。
 戻れなくなるかもしれない自分が怖いのだ。


 マンションのドアが開く。
「新さん、さあ、入って」
 僕は浩に手をひかれて奥に進んだ。
 不意に、目の前がぱっと明るくなる。
 僕はその場に立ちつくした。


 イエローの光の渦。
 僕のベッドのまわりの壁という壁、いたるところに菜の花の写真が貼られていた。
 荒いドットのプリントがまるで点描の絵のようだ。
 浩が窓を大きく開ける。
 五月の風を受けて、菜の花畑がいっせいにふわふわと揺れた。


 ふわふわ ふわふわ イエローの波の彼方から
 白いTシャツの彼が駆けてくる。

 
 その休み中、浩は菜の花畑の番人になって、かいがいしく僕の世話をやいた。



***     ***


    
 浩、僕は君にとても感謝しているんだけど、  
 でもひとつだけ君に言っておきたいことがある。
 僕の身体から出た石をデジカメで撮ってプリクラにして君のライターに貼り
 ほらこれが新さんの石だよと、皆にみせびらかすのだけは頼むからやめてくれ。



第2話 菜の花 了

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