第3話 おぼろ月夜 ■ 内藤更紗
おぼろ月夜タイトル


 窓の外にはおぼろ月
 月も歌いだしそうな春の夜
 おれと新さんはソファでくっついてベストテンを見ていた
 ねえやっぱりHydeってさぁかっこいいねとか
 GLAYの新曲わりといいじゃんとかいいながら
 彼のジーパンの錨を片手ではずす
 ちりちりちり そっとファスナーをおろす音


 寄り添ってテレビを見ながらファスナーの奥に指を入れる
 やわらかなかたまりがおれの手の中でむっくりと起きあがる
 女性ボーカルになるととたんにしなっとうつむいて
 GLAYの曲でまたぴくぴくと復活する
 ねえ新さん GLAYじゃ誰が好き?
 そうだな 僕はTAKUROかな
 へえ メンクイじゃないんだな
 よけいなお世話


 画面ではTERUが苦しそうに歌っている
 でも新さんの呼吸も負けないくらいに荒い
 熱い手がおれの腰をぎゅっとつかむ
 Tシャツをまくりあげて背中をなでまわす
 喉から洩れるかすれた声
 春の夜 風はもうピンク色だ
 そろそろいただきかな 新さん


 ピンポン ドア・チャイムが鳴った


 おれたちは石みたいに固まった
 互いに顔を見合わせる
 おれが起きあがって玄関に行った
 誰ですか というより早く、ドアのノブがまわる
 ガチャリ カギを開けて知らない男が入ってきた


 男がおれを見て棒立ちになる
 おれの背後を見てまた声を失う
 おれの背後には新さんの顔
 青ざめた月のような新さんの顔


 身を翻して男が出ていく
 おれの脇をすり抜けて新さんがその後を追う
 バアン 目の前で鉄扉が閉まる
 空気がパンくずのように粉々に砕けた


 春の夜 テレビではまだGLAYの演奏が続いている
 ソファには新さんの身体の跡がよじれて皺になっている
 おれはそっとその上に身を重ねる
 煙草の匂い 汗の匂い まだあたたかい新さんの匂い
 早く帰ってきて 新さん
 曲がひときわ大きくなる
 ブラウン管にアップになったTAKUROの顔
 おれはぼんやり思い出す さっきの男の顔


 ねえ新さん GLAYじゃ誰が好き?
 そうだな 僕はTAKUROかな


 そうだな 僕はTAKUROかな…


 おれは突然すべてを悟る
 新さんの家のカギをあけて入ってきた男
 TAKUROそっくりの顔をした男
 必死で追いかけていった新さん


 もう彼は帰ってはこないかもしれない
 もう何もかも遅いのかもしれない
 たった5分前まで、永遠に続くと思っていた春の夜が
 今ではパンくずになって散らばっている


 本当に こんなことで終わるのか
 こんなにあっけなく終わってしまうのか
 新さんとおれのこの1年
 おれの一生だったこの1年
 おれは結局 片思いだったのか


 瞳の中で月がにじむ 
 なにもかもが月に溶ける
 過去も未来もGLAYもソファも
 おぼろ月のパレットの中へ
 ふわり ふわり
 宙を飛ぶ


「浩」


 揺り動かされて目が覚める
 新さんの大きな瞳がおれを見つめている


「生きてんなら起きろ 風邪ひくぞ」
「…新さん」
「ん?」
「戻ってきたの?」月から…
「え?」
「戻ってきたんだ!」


 おれは新さんに抱きついた
 おぼろ月夜の外は春
 風が吐息を洩らしている
 新さんはそっとテレビのスイッチを消すと
 はにかんでおれをソファに誘った



第3話 おぼろ月夜 了

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