第13話 ジョシー ■ 内藤更紗
ジョシ-タイトル


 マンションの隣に新しい住人が越してきた。
「どんなやつ、どんなやつ、ヘンな男じゃないだろうな」とヒロがうるさい。
 心配ないよ、人のよさそうな老夫婦だと僕は答えた。
 確かに人柄には何の問題もなかったのだ。でも…


「…何?この匂い」
 訪ねてきたヒロが顔をしかめる。
 キョーレツなお香の匂いがベランダから部屋の中にまで漂ってくる。
 お香は別に嫌いじゃない。でもこれだけ濃いのは僕もヒロも苦手だ。
「でも、お香自体はいい趣味だろ、やめてくれとは言えないしね」
 僕は窓を閉める。匂いはしなくなったが、風も入らなくなった。
 暑がりのヒロのこめかみがピクピク動く。
「よし」
 ヒロが立ち上がる。
「え、隣にいくつもりなら…」
「ルイ、コーヒーあったよな」


 ヒロはキッチンで北京鍋に水とコーヒーの粉をぶちこんだ。
 ぐつぐつそれを煮はじめる。
 まさかそれで匂いを消すんじゃと思っていたら、換気扇のパワーを最大にした。
 ここの換気扇の排気はベランダの隣家とのちょうど境目にある。
 ベランダに出てみると、焦げ臭いコーヒーの匂いがお香を圧倒していた。
 ヒロの鼻の穴がふくらむ。
「ガハハハハ、目には目をだ!」


 それから隣家の人は少しだけ香りを薄くしてくれたみたいだった。
 でもまだ時間帯によっては気分が悪くなるときがある。
 またコーヒー責めをやろうぜというヒロをとめて、
 僕は薬局で「お部屋の消臭剤」というのを見つけ、窓辺に置いた。
 小さなプラスチックケースに透明のイクラみたいな粒がたくさん入ったやつだ。
 ヒロは横目でそれを見ていた。


 ある日曜の朝、僕が気持ちよく朝寝をきめこんでいたら、
 急に玄関のチャイムが鳴った。
 ヒロが何か大きなダンボールをぶらさげて立っている。
 まだ目をこすっている僕を尻目に、どんどんパッキングを解きはじめた。
 スーツケースみたいな白い箱形物体があらわれる。
「いいだろ! 除湿機だ」
「 除湿機?」
「クーラーの除湿だと冷えすぎて身体に悪いからな。持ち運びもできるしさ」
「…」
「何?気にいらないのか?」
「そうじゃないけど…」どうして急に…
 喜ばない僕に、ヒロはいらだった。
「だってさ!これだったら、あの窓ぎわに置いてるやつの何十倍も湿気がとれるんだぜ!」
 え?
「おれ、この前おまえの留守に来たとき、あれ床にひっくりかえしてさ、足の裏にべとべとした虫の卵みたいなのがくっついて、すげー気持ち悪かったんだっ!!だから、この除湿機だったら、あの何十倍も」
「だって、ヒロ。…あれ、除湿剤じゃないよ。あれ、消臭剤だよ」
「え?」
「忘れた?…ほら、隣の家のお香の…」
「…あ…」


 というわけで、今年僕の家には 除湿機が増えた。
 僕は彼をジョシーと呼んで、ハンドルを持ってどの部屋にも連れて歩く。
 水がたまるとクピクピ、キュルルと鳴くのが楽しい。
「そろそろ鳴くよ、鳴くよ、ほら、ヒロ」
 クピクピ、キュルルル。





第13話 ジョシー 了

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