第18話 秘密 ■ 内藤更紗
秘密タイトル


 おれが瀬川壮太からその話を聞いたのは、高一の二学期の期末試験前だっ た。
 一緒に試験勉強…という名目で壮太の家で遊んで、
 夕飯も一緒に食べた後、壮太はおれを駅まで送ろうと言い出した。
 月のない寒い夜だった。


 壮太の家は2年前に市が誘致した造船プラントに勤める従業員用の社宅で
 広大な田園の中にいきなり出現する高層マンションはまるで月面に立つロケット基 地のように見える。 
 最寄りの駅からは直線で1キロくらいの距離だが
 田んぼを貫く石ころだらけの田舎道にはろくな外灯もなく、
 日が落ちると真っ暗で、
 マンションの住人は遠回りをして、まず明るい国道に出てから駅に向かうのだっ た。
 でもおれたち子供は、とてもそんな面倒なことやってられない。
 おれは壮太の家から帰るとき、
 いつもほとんど一直線に田んぼを突っ切っていたし、
 壮太だってそうしていた。


「亮、こっちから行こうよ」
 その夜、田んぼの方角に歩きかけたおれを、壮太が止めた。
「なんで?すげー遠回りじゃん、そっちだと」
「いいからさ」
 いつもおとなしい壮太にしては強引に、国道に向かう道を歩き始める。
 おれはしぶしぶ後に従った。


 12月の冷たい夜風がおれたちの頬を撫でる。
 外灯の光がアスファルトを弱々しく照らしている。
 聞こえるのはおれたちふたりの足音だけ。
 ときおり空の彼方でごおっと風の渦巻く音が聞こえる。
 壮太はずっと無言だった。


 気づまりな空気を何とかしようと、
 おれはクラスの女の話とかをしたような気がする。
 でも壮太は何か他のことを考えているのか、
 口を真一文字に結んだまま、無反応だった。
(何だよ、駅まで送ろうって言い出したのはおまえだろ)
 おれもむっとして、黙り込んだ。
 腹立ちも手伝って、道がいっそう遠いものに思えてくる。


「あ〜あ」
 思わずためいきが出る。壮太の肩のマフラーがぴくっと跳ねた。
「…だって、亮、あっちの道は暗いし……」
「別に平気じゃん、どうってことないよ」
「…だって…」
「突っ切ればすぐじゃん。今からだって、行こうよ」
「だめだよ」
「大丈夫だよ、何怖がってるんだ」
「怖がってなんかいないよ」
「怖がってるよ。何だよ、女じゃあるまいし」
「……」
 壮太が黙ったのを見て、おれは強気になった。
「な、大丈夫じゃん、女じゃないんだから」
「…じゃなくても、危ないよ」
 壮太がぽつりと言った。
「え?」
「…だから、女じゃなくても、危ないって言ったの」
「うっそぉ、おまえ何言ってんの」
「……」
 壮太は、また黙った。ちょっと強く言い過ぎたかな、とおれは反省する。
「まあなぁ、女だったらさ、そりゃ襲われる心配とかあるけどさぁ」
 おれは少し前に見たテレビドラマを思い出していた。人気アイドルのヒロインが夜 道で…
「男だってあるよ」
「うっそぉーーーっ!」おれは爆笑した。
「壮太、そんなさぁ…んなこと、心配しなくたって、ぜったい大丈夫だって。
 そりゃまあマチではそんなことあるかもしれないけど、こんなイナカにそんな」
 都会育ちはこれだから。
「な?こんなイナカにそんなやついないから大丈夫だよ」
「そんなことないよ」
「いるわけないじゃん」
「いるよ」
「いないよぉ」
「いるよ」
 壮太は引かない。これだけ言ってやってるのに、おれはムッとした。
「どこにいるんだよっ」
「……」
「いい加減なこと言うなよっ」他所もんのくせに、知ったようなこと言って。
「…いたんだよ」
 蚊の鳴くような声が聞こえた。
「何?」
「だから、いたんだって」
「ウソつけ、そんな噂なんか聞いてないぞ。第一誰が襲われるってんだよ」
「…僕だよ」
「あン?」
「…だから、僕だって。先月、部活で遅くなった日に、あそこの道で」
 壮太は淡々と続けた。
「暗かったし、考え事してたから待ち伏せしてるのに気がつかなくて、逃げられな かったんだ」
 おれはごくりと唾を呑んだ。が、すぐに反論した。
「ウソだろ。だってあんな田んぼのド真ん中だったら他から丸見えだし、いくら夜 だってそんなとこで」
「道の途中に、小屋があるだろ?」
 そういえば崩れかけた物置がある。それでもおれは食い下がった。
「だっておまえ普通に学校出てきてたし、顔だって全然ケガした様子なかったじゃん か」
 おれは「襲われる」ということの中身を、軽く、軽く考えようとしていたのだっ た。
「…それは」
 壮太は、低く笑った、ように思えた。
「それは、相手が『目的を達した』からだろ」


 おれは十年たった今でも、そのときの壮太の声を忘れることができない。
 とてつもなく大きなナイフで胸の中心をぐりっとくりぬかれたように、全身が痺れ て動けなかった。
 そのとき初めて、おれは壮太の言葉の意味を理解したのだった。


 中学のときから、いつも一緒に遊んだ、いつも一緒だった、一番の友だちに、
 おれは何か言わなければと必死で言葉を捜した。
 だが頭が真っ白になってしまったおれにはとても気の利いた台詞なんか思いつく余 裕もなく、
 動揺を悟られまいとすることだけで精一杯だった。
 おれが騒ぎ立てたら壮太がもっと傷つくと思ったのだ。


 薄暗い外灯の下で、壮太の表情はよく見えなかったが、
 もし見えたとしてもおれにはとても彼の顔を見る勇気がなかった。
 真冬なのに下着はじっとりと汗ばみ、喉がからからに乾いた。


「…僕は、だから亮も危ないから、これからあっちの道は通らない方がいいと思って さ」
 夜道の終わりに、壮太はぽつりと言った。
 駅で彼と別れたあと、自分がどうやって家まで帰り着いたのか、おれは思い出せな い。
 夜の改札に頼りなげに浮かぶ彼の白い顔だけが
 まるで季節はずれの幽霊みたいに電車のガラス窓にいつまでも貼りついていた。


     ***      ***


 その夜、おれは熱を出した。
「もう、この子は。試験前だっていうのに遅くまで遊びに行くからじゃないの」
 母親に小言と同量の風邪薬を飲まされ、早々とベッドに追い立てられる。
 暑苦しくて何度も寝返りをうっているうちに、濡れたベールのように睡魔がおれを 覆い始めた。
 くぐもった深い闇の中を、全身がゆっくりと落ちていく。
 …かすかに、何かが、見えた気がした。


 何だろう。おれは落下を止めて、目をこらした。
 月が雲で隠れている。
 夜の闇の向こうから、音もなくひとつの影が近づいてくる。
(あれ?壮太じゃん)
 声をかけようとしたが、あっという間に壮太はおれとすれ違っていってしまった。


 いつのまにか月が雲間から顔を出し、あたり一面を照らしている。
 乾いた地表に点々と稲株が続く荒涼とした冬の田園。
 モノクロームの月世界を、影絵のようにうつむいて、壮太がひとりで歩いていく。
(壮…)
 また声をかけようとしたおれは、次の瞬間凍りついた。


 壮太の背後に、大きな影が忍び寄っている。
 背中に冷水を浴びせられたように、おれは立ちすくんだ。
(壮太…)
 何をやってるんだおれは。壮太に言え。壮太に言わなければ。
 言葉が喉の奥で石のように固まる。
 壮太がはっとしたように振り向くのと、影が壮太に覆いかぶさるのが同時だった。
「やだっ!離せよっ」
 もがく壮太が、ずるずると物置小屋に引きずられていく。
 小屋の中は真っ暗だ。隅に干しわらがうず高く積まれている。
 背中をぐっと押し付けられ、
「……だから、……な?…な?」
 男が低い声で壮太をなだめている。毛深い手が彼の股間に伸びる。
「離せったら!」
 振り切って逃げようとする壮太が背後から捉えられる。
 うつぶせにされた壮太の黒ズボンが力まかせに脱がされる。
 月光に照らされた、真っ白な尻………


     ***      ***


 突然、おれは飛び起きた。
 全身にべったりと汗をかいている。
 激しい動悸がおさまらない。
(今のは何だ?今のは…)
 風邪のせいか?熱のせいか?
 壮太が男に襲われたということが、自分にとってそんなにショックだったのか?
(違う)


 あの小屋の干しわらの匂いと、壮太のかすれた叫び声。壮太を組み敷くリアルな感 触…
 おれを絶望に陥れたのは、
 夢の中で繰り返し訪れたえもいわれぬ快感。
 何度も何度も全身を貫いた絶頂の記憶と、パジャマの股間の白い大量の液体だっ た。


(ウソだろ)
 おれは何度も繰り返す。そんなの、ウソだろ。
 だって、壮太は友だちだった。
 一番親しい、一番気の合う友だちだった。
 そんなことがあるはずがない。おれはそんな男じゃない。
 おれはただ、突然友だちから秘密を打ち明けられて混乱しているだけなんだ。
 おれはそう思おうとした。
 あるいは単に、風邪の熱のせいだと………


 おれの希望的観測は、見事にはずれた。
 風邪が治って熱が下がってからも、
 毎晩のように、おれは同じような夢を見てしまうのだった。
 いや、正確には、同じではない。


 ヤバイ、ヤメロと必死で冷や汗をかきながら、
 心とは反対に、身体はますますエスカレートしていく。
 夢の中の壮太は最初は嫌がっていたくせに、
 今では途中から抵抗をやめ、うるんだ瞳でおれを見上げて
 かすれた声をあげるのだ。
 そのたびにおれの心臓は爆発し、欲望は雪崩うって獲物に襲いかかる。
 おれは干しわらの上に壮太を押しつけ、地面に転がし、農機具を抱かせて
 背後から、横から、前から、上から下から、
 快楽の最後の一滴が尽きるまで獣のように彼を貪ってしまうのだった。


(ああ…亮…いいよ…いい…)
 絡みつく脚。
(もっと、…して…もっと…亮)
 耳もとでささやく声。淫らに吸いつく腰の動き。天にも昇るような射精の至福。


 朝の光の下で絶望的な罪悪感に苛まれながらも、
 おれにはどうしても、その甘美な夢から逃れることができなかった。


 壮太はおれに秘密を打ち明けたあとも、普段と変わりなく学校に来ていたが、
 おれの方は彼を避けるようになった。
 毎晩、夢の中で好き放題に犯してしまう相手をいざ目の前にして、
 どんな顔をすればいいかわからなかったのだ。
 そして、夢がたび重なると、いつのまにか起きているときも相手を夢想してしま う。
 おれは壮太の身体を夢想している自分を、もう止めることができなかった。
 そんな状態で、とても以前のように話なんか、できっこない。
 試験休みやクリスマスイブにも壮太に遊びに誘われていたが、
 おれは理由をつけて断った。
 壮太は何も言わなかったが、つまらなそうな顔をしていた。


(ごめん、壮太)
 壮太は全然悪くないのだ。
 問題があるのはどう考えてもおれだった。
 おれは冬休み中、部屋に閉じこもっておれと壮太のことを考えた。


 おれが壮太を好きなことは、もう疑いようがなかった。
 壮太は男だ。男を好きだということは、おれがホモとかゲイとか、
 その種の人間であることを示していた。
 でもそんなことは、もうどうでもいい。やめろといってやめられるものじゃない。
 欲望のありかはあまりにも明白で、おれを開き直らせた。
 これほど激しい気持ちは、ほかの誰にも抱いたことがなかった。
 頭のてっぺんから爪先まで全身が壮太で埋め尽くされ、
 いてもたってもいられない。「好きだ」と言いたい。言って思いきり壮太を抱きし めたかった。


 でも、…待てよ。おれは自分にブレーキをかけた。
 壮太の方はどうなのか。
 壮太はどうして、あの夜、おれに自分の秘密を話そうという気になったんだろう。
 普通なら誰にも、決して誰にも話したくない傷じゃないのか。
 現に彼は、一カ月の間、おれにも、おそらくおれ以外の誰にも言わずに隠していた のだ。


 考えているうちに、ひとつだけ、わかったことがあった。
 壮太がおれに、男に襲われたことを打ち明けたということは
 壮太が、おれも彼と同じ100%ノンケだと信じきっているということなのだ。
 ノンケ同士だと信じたからこそ、安心して打ち明けることができたのだろう。
 女の子がもし男に襲われたとき、
 同じ女の子同士にはそれを打ち明けられても、
 男にはなかなか打ち明けられないのと同じように。


 もしそうだとすれば、
 おれが壮太に「好きだ」と告白すれば、彼はどうなるだろう。


 壮太はおれがゲイだと知り、
 そして、自分が男に辱しめられたという事実を、
 ほかならないゲイに知られた(自分で言ってしまった)ことに気づく。
 それどころか、おれという身近な人間が、壮太を辱めたやつと同じような欲 望を、
 壮太にとっては二度と思い出したくないおぞましい欲望を、
 壮太の身体に対して抱いているのだ、と知ることになるのだ…


 それは、せっかくおれを信頼して自分の秘密を話してくれた壮太に、
 取り返しのつかない傷をつけるんじゃないだろうか。
「…だから亮も危ないから、これからあっちの道は通らない方がいいと思って」
 そう言ってくれた、かけがえのない友だちに。


 おれの脳裏に、あの夜、駅の改札にぽつんとひとりたたずんでいた
 壮太の淋しそうな白い顔が浮かんだ。
 あのとき彼は何を思っていたのだろう、そう思ったとき、
 不意に頬から涙がこぼれた。


 おれはあのとき、あいつに何も言ってやれなかった。
 あんなひどい目にあって、誰にも言えなくて、ひとりで悩んで、 
 決死の覚悟をして秘密を教えてくれたあいつに、何の言葉もかけてやれなかった。
 友だちだったのに。
 そして今、もう一度、あいつを裏切ろうとしている。
 おれの、バカな、恋心のせいで。


 おれは、一晩、泣いた。そして決めた。


 おれは、きっと一生、壮太のことが忘れられないと思う。
 好きで好きでたまらないと、下半身は悶々とすると思う。
 それはおれ自身でも止められない。
 でも、おれは一生、壮太におれの気持ちを告白しない。
 おれがゲイであることも言わない。
 言えば、壮太は思い出すだろう。自分の身に起こった耐え難い事件を。
 それを友だちに言ってしまったことを。
 そんなことは誰にもさせない。たとえおれ自身にさえ。


 16のガキが何カッコつけてんだって笑うかもしれないけど、
 笑われてもいい。
 おれはそのとき本気で、そう決めたんだ。
 おれは壮太を、守りたかった。
 それがおれの、愛し方だと、思った。


   ***   ***   ***   ***


 それから二年後に高校生活を終えるまで、
 おれと壮太はいつもお互いに一番近い友人だった。
 壮太にとっては自分の恥を話した相手だという信頼感があったのかもしれない。
 秘密が逆にふたりを結びつけたのは皮肉な結果だった。
 何人か彼にアプローチをかけた女子もいたが、
 壮太はいつもつきあうところまでいかなかった。
 まだ心の傷が癒えていないようで痛々しくて、
 おれはいっそう彼を守らなければと思ったものだ。


 そんなおれたちにも、卒業はやってきた。
 お互いに遠くの大学に進み、当初はしょっちゅうメールを交換していたが、
 それもだんだん疎遠になった。
 壮太は在学中に同棲を始めた相手と、卒業を待って結婚した。
 おれは友人代表でスピーチをし、その日ばかりは3次会、4次会まで痛飲した。


   ***   ***   ***   ***


 気がつけばいつのまにか、卒業から10年の歳月が流れている。
 壮太とはここ数年は賀状のやりとりだけのつきあいになっていたが、
 今年は高校一年のときの同窓会が年の瀬に行われて、
 おれたちは久しぶりに会場のホテルで顔を合わせた。


「亮、ここ終わってから僕の家にこない?暮れだから家族で実家に帰ってるんだ」
 壮太はもう2人の子供の父親だった。
「そうだなあ」
 高校の時よくご馳走になった壮太のお母さんの手料理への誘惑に負けて、
 おれは壮太の家に足を運ぶことにした。


 冬の日がゆっくりと傾きかけている。
 駅の改札を出て、おれは目を見張った。
「へえ…」
 目の前には商業ビルや住宅が立ち並び、かつての淋しい田園風景は一変していた。
「変わるもんだな」
「だろ?」
 壮太は涼しげな目を細める。


「亮、ここ、突っ切って歩いていこうか」
「え?おまえ大丈夫か?ずいぶん飲んでるだろ。タクシーの方が…」
「大丈夫だって、酔い覚ましにちょうどいいよ」
 壮太はさっさと先に立って、歩き始める。
 昔、細い地道だったそこは二車線の道路になり、両側には商店が軒を連ねていた。
 壮太は無言で歩き続ける。
 風がおれたちの間を吹き抜けた。


「この辺かな」
 壮太が立ちどまった場所は、あの物置小屋のあった付近だ。
 今ではコンビ二が建っている。
「もういいだろ?行こうよ」
 おれは気を使って言った。嫌な思い出のある場所なんか早く離れた方がいい。
「…なあ、亮」
 壮太が、ぽつりと言った。
「僕、亮に謝らなくちゃならないことがあるんだ」
「え?」
「亮はもう忘れているかもしれないけど、高一の時、亮が僕の家に遊びに来た帰り に、
 僕が言ったことがあるんだ。この辺にあった物置小屋のことで」
 胸の動悸が急に早くなった。


「どういうこと?物置小屋で、おまえ…確か、その…」
 その先は言えなかった。
「うん。…その…僕は確か、男に襲われたって、亮に話したと思うんだけど、
 あれは、その、口がすべったというか」
「え?」
「…だから、その…」
「あれ、ウソなのか?壮太っ!」
 酔いのせいだけじゃなく、足元がグルグルまわった。


「ウソじゃない、ウソじゃないよ!」
 壮太は頭を振る。
「襲われたことは本当。怖かったのも、それ以来この道を通れなくなったのも、本 当。でも」
「でも?」
「相手もかなり酔ってたから、僕が死に物狂いで抵抗したら、途中であきらめたん だ」
「でも、おまえあのとき『相手が目的を達した』って言ったじゃないか!」
「…うん」
 壮太はうつむいた。
「なんでそんなこと言ったんだよ?」
「…かもしれない」
 蚊の鳴くような声だった。
「え?」
 おれは聞き返した。
「僕あのとき、ちょっと亮のことが好きだったのかもしれない、今だから言えるけ ど」
「何だと?」
 思わずおれは叫んだ。


「怒鳴るなよ。だから、ちょっと、って言ってるじゃないか。
 あの年頃って、そんなこともあったりするだろ?亮カッコよかったしさ」
「……」
 おれは絶句した。
「僕、あのとき男なんかに襲われて、結構ショックだったんだよ。
 ひとりでいろいろ考えてても、何だか沈んじゃうばっかだったしさ。
 それで亮にいろいろ話聞いて欲しかったのに、亮はあの夜、帰り道で
 クラスで人気のある女の話ばっかしてて…それがすごく悲しくて腹たってて」
「それは…」
「やっぱり僕なんかダメなんだって落ち込んでるとこに、
 亮が男に襲われるやつなんかいないって頭っから決めつけるから、つい…」
「だっておれが好きだったんなら、どうして好きなやつに、自分が襲われたなんて話 が
 できるんだよ?!ふつーそういうことは知られたくないもんじゃないか」
「わからない、僕、気にして欲しかったのかもしれない。それに」
「それに?」
「亮、僕の秘密を知ってからやさしくなったもん」
 おれは赤くなった。
「…でも、僕さ、あの話したあと、やっぱりオーバーに言いすぎたかなって思っ て…
 それで亮に謝って説明しようと思ったんだよ、でも、亮、会ってくれなかっただ ろ。
 クリスマスイブにも会ってくれなくって…僕、死のうかと思った」
「おい」
「本当だよ。やっぱり襲われたなんて話をするんじゃなかったってすごく後悔し て…
 それにひょっとして僕が亮を好きなことバレちゃって、気持ち悪いやつって
 嫌われたかもしれない。嫌われて、もう会ってくれなくなったらどうしよう、
 どうしたらいいんだろうって、もうぐちゃぐちゃになってて」
「だっておまえ、今まで一度もそんな話、しなかったじゃないか」
「できっこないだろ」
「……」
「だけど年が明けて三学期に学校で会ったら、なんか亮、ウソみたいにやさしくって さ…。
 いや、前からやさしかったけど、何かもっとこう、大人の男みたいに落ち着いて て。
 よかった、嫌われてなかったんだって思ったら、僕、嬉しかった。泣きたいほど嬉 しかった。
 …だから余計『襲われたと言ったのは半分ウソでした』なんて言い出せなかった。
 そんなこと言ったら、潔癖な亮は怒って、もう僕なんか絶対相手にしてくれなくな ると思った。
 だから、言えなくて…
 そのうち、このまま、やさしくしてもらえるのなら、それでいいじゃんって…。
 僕ずるいかもしれないけど、ずっとずっと亮と一緒にいたかったんだ。…でも」
「何?」
「高三になってから、さすがにこれじゃだめだと思ってさ。
 だって、いくら亮がやさしくても、亮だってそのうち彼女つくって結婚するだろう し、
 そのときの自分を思うともう目の前が真っ暗で…でも亮に迷惑かけたくないし、
 僕も自立しなきゃって、あえて違う方向の大学受験して、亮と離れて、
 ちゃんと、ふつーの友だちになれるように、すごい努力したんだ。
 電話もメールも死ぬほど会いたいのも、あんなに我慢したの生まれてはじめてだっ たよ、僕」
「…で、今のカミサン見つけてハッピーエンドというわけか」
「何?亮、何か怒ってる?」
「怒ってないよ。子供は可愛いのか?」
「うん、可愛いねー」
 壮太はでれっと父親の顔になった。


「壮太、悪いけどやっぱりおれ、ここで帰るわ。
 懐かしいから暗くならないうちにこの辺を歩いてみたいしさ」
 おれは壮太のマンションの門の手前で、そう言った。
 壮太のカミサンや子供に会う勇気がない。
「そう。亮、今度またゆっくり会おうね」
「おう」
 おれがきびすを返しかけたときだった。
「亮」
「何?」
「…あのさ、僕が今日言ったこと、気にするなよ」
「…」
「僕、今は本当に亮のこと、いい友だちだと思ってるんだから、それだけなんだか ら、ね」
「わかってるよ」
 念を押すなよ。
「亮」
「何?」
「亮も、彼女いるんだろ?」
「ああ、3人いて、忙しくてまいってるよ」
「さすがだねー」
 壮太は笑った。


   ***   ***   ***   ***


 日没が家々の窓をオレンジ色に染めあげる。
 おれはたそがれの町並みを、ゆっくりと駅へ歩いた。
 にぎやかな界隈に、日々の営みがある。
 海のようにたゆたう稲穂の波は、のんびりとそこをわたる風は、今はもうない。


 壮太。
 アホでバカでひとりでイキがって悩んでいた、16のおれとおまえ。


 泣いていいのか、笑っていいのか、あきれていいのか、
 おれにも実のところよくわからない。


 でも、おまえがおれの魔の手にかからなくてよかったと、今は思う。
 たとえあの頃お互いの気持ちを知っておれたちがつきあい始めたとしても、 
 ガキのおれは、感情にまかせておまえをどんなに振り回してしまっただろう。
 お互いに好きなだけでは乗り越えられない壁があることを、
 この10年間の男たちとのつきあいで、おれは知った。
 それがおれの、ささやかな収穫だ。 


 でも、壮太。
 今でもおれは時折、夢を見る。
 夜の改札にひとりだけ、おまえがぽつんと立っている夢を見る。
 電車の窓ガラスに、おまえが映る。
 淋しそうに揺れている。


(亮)


 おれはふと、振り返る。
 幻の田園をわたる風に乗って、かすかに空耳が聞こえたような気がした。




第18話 秘密 了

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