第19話 花火 ■ 内藤更紗
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ドーン パラパラパラパラ ドーンドドーン パラパラッ 腹の底に響く音 もう少しだ もう少し詰めて 僕の背中がぐいと押される ドーン 今度のも大きそうだ 僕も前の背中を押す 後ろからも圧迫されて まるでラッシュアワーのすし詰め状態 パジャマ姿で押し寄せる 大学病院の入院病棟 8階フロアの東の端の窓ガラス 病院は広い川の北岸に建っている その川で年に一度 大規模な花火大会が開かれる 大勢の観光客 威勢のいい露店のかけ声 華やかな喧騒がつい目と鼻の先のここまで聞こえてきそうだ でも花火は見えない 建物の立地上 ぎりぎりの角度で見えないのだ それでも患者たちはあきらめない 廊下の隅の窓ガラスの そのまた隅の一角に老いも若きも押し寄せる 窓ガラスに頬の皮脂をぺったりつけて目をこらし あと1センチ あと数ミリとにじり寄る ドーン 鼓膜を揺るがす花火の音 あれは尺玉だ 誰かがつぶやく もう誰も身じろぎもしない ドーン ドーン 景気のいい尺玉のあとに 細かな音の饗宴が続く ドドドドーン ドドドドーン 僕は目を閉じる まぶたの裏で色あざやかにスターマインがはじけて消える ヒュルルル ドーン ヒュルルルルル ドーン 身をくねらせながら虚空へとひたすらに登りつめる火薬の尾 開いては散っていく一瞬の花 そして 永遠と思われた時間が 不意にとぎれる 終わりかな そうみたいやなぁ ぼそぼそと交わされる言葉を合図に すし飯のように仲良くくっついていたパジャマの集団は ただのばらばらの飯粒に戻る ガラガラと点滴の器具を従えて病室に帰っていく 後姿のパジャマたち 明日からはまた退屈な入院生活に戻るだけ せめてこの建物がもう少し川の方に向いていたら せめて動ける患者だけでも病院の庭に出ていいことになっていたら そう思いながら自分の病室のドアを開けたとき 僕の足がとまった 6人部屋の隅のベッドに 今夜廊下にも行けなかった者が眼を見開いたまま横たわっていたのだ 下半身がマヒして動けない72才の老人 彼は入院17年めだと聞いた ** ** ** ** 翌年、僕は退院し 夏にヒロと連れだってその川の花火大会に出かけた まだ空の明るい時間から 河原には露店が立ち並び、浴衣姿のカップルや女の子たちが集まっている 傾斜地には思い思いにシートを敷き詰めて、家族連れがにぎやかだ 僕たちはビールと枝豆を仕入れて堤防の脇に陣取った 夕陽の中に、対岸の大学病院が黒っぽいシルエットになって浮かんでいる 今頃は、あの8階の東の端の一角は、押せや押せやの大騒ぎだろう 翌日の窓ガラスには、信じられない数の頬の皮脂のあとが ぺったりと貼りつくことになるのだ そして…… 「おい、何考えてる?」 「え?いや、何も…」 そして、あのじーさんは、今日もきっと天井を見上げたまま 音だけで花火を聞くのにちがいない(死んでなければだけど) 音だけで、いったい何を思っているのだろうか 僕が72才になったとき、花火の音を聞いて いったい何を思うだろうか 「どうした、ルイ。やけに静かじゃん。腹でも痛いの」 「ちょっと聞くけどさ、ヒロは花火見て何考える?」 ヒロは眼をぱちぱちさせた。 「何って…花火って、考えるもん?どっちかいうと、思い出すもんじゃないの」 「思い出すって」 「それまでに見た花火の思い出。子供のころは家族と一緒に行ったなとか、 大きくなってからはあいつと見たなとか、そのときどうだったとか」 「…そうか」 それなら72才のじーさんには72年分の思い出があるのだ 僕なんかには思いもつかないほど豊かな花火の思い出が 花火の音を聞きながら、繰り返し繰り返し、彼は思い出を取り出しては噛みしめる 甘く 時にはほろ苦く 何度も何度も噛みしめる そして僕は…… 「ルイ?」 僕はヒロの手を、握りしめた。 僕が72才になったとき、ほしいのはヒロとの花火の思い出だ そして、それは…花火だけじゃない 花火だけじゃなくて 少し汗ばんだヒロの手が僕の手をぎゅっと握り返す 「ルイ、ほら、そろそろだ」 僕たちは一緒に空を見上げた まだ夜になりきらない薄墨のベールの彼方に ドーーン 合図とともに、今年の花火が始まった |
第19話 花火 了
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