埋火 内藤更紗
埋火
埋 火

20


 徹が帰ってきたのは6時半を少しまわった頃だった。
 門の外に車の停まる音を聞いて、俺はベッドから降りた。
 着ていた服を身につけ、手早く灰皿とコンドームの始末をする。少し考えてから、空き箱や空容器も一緒に持ち帰ることにした。
 ここは徹と玲の寝室なのだ。--侵入者は俺だった。
 俺は軽くシーツを直し、眠っている玲の髪にそっと唇をつけて、部屋を出た。



「俊男、--もう起きてたのか」
 居間に入るなり、徹は俺を見て意外そうに言った。
 どすんと音をたてて向かいのソファに座り、ネクタイをゆるめる。
「それともベッドに行かなかったのか?--ひょっとして一晩中待ってたのか?」
「いや」
「だろうな--玲は?」
「・・・寝てるよ」
 徹は立ち上がると、ドアに向かって歩きかけた。
「徹」
 俺は呼び止める。
「--話があるんだ」
「うん、--ちょっと待ってくれ、顔だけ見てくるから」
 彼がノブに手をかけながら振り返る。
「--徹」
 俺は彼のすぐそばまで近づいて、低い声で言った。
「・・・玲の顔を見る前に、話したい」
 徹の眉がくもった。
「--玲の具合が--また悪くなったのか?」
「いや--そうじゃないけど」
「--何だ?」
 俺は、つまった。
 徹のまっすぐな視線が俺を見ている。背中に冷や汗がにじんだ。
 --ぐっと唾を飲み込む。
「・・・夕べのことだけど」
「--」
「・・・ベッドには、行ったんだ」
 徹がますますいぶかしげな顔になる。
「・・・玲と一緒のベッドで--寝た」
 まだ、黙っている。
「--だから--つまり、・・・つまり、俺は」
 喉が粘っこく絡みつく。俺は無理矢理言葉を押し出した。
「--玲と、・・・そういう仲になった」
 徹の目が大きく見開かれて俺を見る。吸い込まれそうな漆黒の瞳。
 鉛のような沈黙が落ちた。




21


 空気がだんだん重たくなる。
 両足が床にめり込みそうなほど引っ張られるのを感じて、俺は思わず視線を落とした。その時--
「・・・おまえがやったのか」
 低い声が俺の横面を張った。
「--玲は・・・いいと言ったのか」
 俺は徹を見る。
「--あいつは承諾したのか!」
 顔が憤怒で真っ赤だった。--そのまま身を翻してドアを開け、廊下に走り込もうとする。俺は必死で追いすがった。
「待てよ!玲じゃない、玲は悪くない、俺が--」
「おまえはいつから玲を呼び捨てにするようになったんだ!」
 俺はぐっと、つまった。
 徹が全身を震わせて俺を睨みつけている。
「--徹」
 --落ち着け。
「・・・俺が、・・・押さえつけて--無理に承諾させた、だから悪いのは--」
「承諾したんだな、玲は!」
 叫ぶなり、廊下の奥に向かって身体をひねる。俺は即座にその肩をつかんだ。
「やめろ!--今、寝てるんだ」
「離せよ!」
 揉み合いになる。
「やめろって!--夢を見てるんだ、今--」
「何言って--」
「本当だから--見させといてやれよ、お袋さんの--」
「何だって?」
「亡くなったお袋さんの夢を見てるんだ--幸せそうな顔してさ」
 徹が身体の動きをとめる。
「何をヘンなこと言ってるんだ--母さんの夢?なんでおまえにそんなことがわかるんだ」
「--聞いたんだよ、寝言を」
「--」
「--何度も何度も口を動かしてるから気になって--全部はとても聞き取れなかったけど、確かに最初の言葉は、か、だった。・・・かきくけこ、の、か」
「--」
「--かあさん、って呼んでたんだろう、きっと」
 返事がなかった。
 --いつの間にか、俺の肩に食い込んでいた徹の手がだらりとさがっているのに俺は気がついた。
 そっと、徹を見る。
 --悪寒が走った。
 薄暗い廊下の片隅で、徹は幽鬼のようにぼんやりと立っていた。表情というものの全くない、土気色の顔--
 俺の視線に気づくと、徹はゆっくりと頬に微笑を浮かべた。
 歪み、としか思えないような笑いだった。




22


 俺たちは無言で居間に戻った。
 ソファに向かい合って腰かけ、俺は煙草を取り出して吸う。
 --また、沈黙が落ちた。
 雨の音だけが窓から身体に染み込んでくる。
「--徹、・・・俺さ」
 俺は静かに言った。
「おまえには悪いけど--これだけは言っときたいんだ」
 徹がゆっくりと視線をまわす。
「玲のこと--俺、本気なんだ。いいかげんに見えるかもしれないけど、俺、本当に--」
「知ってるよ、そんなこと」
 徹はぶっきらぼうに言った。
「--玲はどうだったか知らないけど、僕は知ってたよ。--それも昨日、今日じゃない、--もっと、ずっと前からだろ」
 俺は驚いて徹を見る。徹はきょろっと黒目を動かした。
「猫にリエ、なんて名前つけるからさ」
 俺は赤くなった。
「昔つきあってた女の名前だ何だってごまかしてたけどさ--オスなんだろ、確か・・・それも真っ白の、シャム猫だったよな--確か」
「--」
「本当は、レイってつけたかったんだろ、おまえ--それができないから、レイをローマ字で書いて文字入れ替えて」
「--」
「・・・こっち来てすぐだったよな、猫飼いはじめたの」
「--」
「--あの頃から、もう--好きだったんだろ」
「--徹」
 彼はテーブルに視線を落とした。
「・・・おまえに神戸に来てもらって、玲のガードを頼んだのは僕だ。・・・これだけいつもぴったりくっついてて、玲に惚れてしまっても、それは--しょうがないと思ってた。惚れたからって、急にどうこうなるとも思わなかったし・・・。それにおまえは葉子ともつきあってたし、他の女たちとも結構遊んでたみたいだから、大丈夫だろうと・・・まさか--」
「徹」
「--」
「俺、昨日はおまえに用があってここへ来たんだ」
 徹は目をあげた。
「会社を辞めて宮崎に帰ろうと思って--それをおまえに言いに来たんだ」
「宮崎に--どうして?」
「・・・これ以上、玲のそばにいるのが、・・・でさ」
 徹は俺を凝視していた。
「そうしたら名神の事故、だろ、--それで、・・・ふたりきりになって」
「--」
「俺は、もうこれでこの人とも最後だ、お別れだと思ったら、--たまらなくなってさ--それで」
「--」
「それで・・・やっちまった」
 徹の手が震えている。
「だけど・・・そうなってから、--わかったんだ、俺は--」
 俺は徹の目をじっと見た。
「俺はもう玲と離れられない」
「--」
「俺はもう、どんなことがあっても、玲と--」
「それを決めるのは玲だろ!」
 徹はぴしゃりと言った。
「決めるのはおまえじゃない、僕でもない、玲自身じゃないのか」
 唇が震えていた。
「--俊男、悪いけど--帰ってくれよ」
「何?」
「玲の目が覚めたら、聞こうと思うんだ--彼がどうしたいのか」
「俺も立ち会うよ」
「--ふたりで仲良くガン首並べて、さあどっちにする--なんて、馬鹿げたことをしたくないんだ。--第一、それじゃ玲は決められないだろう」
「--」
「--追いつめたくないんだ、だから・・・答えは彼の都合のいい時にして、--何なら直接玲から僕やおまえに言わせるようにしてもいい--その方が納得がいくんなら」
「--」
「それでどうだ」
「・・・わかった。--徹」
 徹は俺を見た。
「・・・本当言うと、殴り合いになってもしかたがないと思ってたよ。そうなったら、どんなパンチを使おうかなって--考えたりしてた」
「殴り合い?俊男と僕が、玲を争って--か?」
 徹の反応は予想と違っていた。
「--そりゃ、・・・コメディだ」
 暗く嗤ったのだ。




23


 徹は俺を玄関まで送った。
 俺は靴を履きながら、やはり気になっていたことを口に出した。
「--ひとつだけ・・・約束してほしいんだけど」
「--何?」
「あいつを・・・乱暴だけはしないでやってくれないか」
 返事がない。
「--頼む」
「・・・俊男」
「--」
「--亭主面は、まだ早いんじゃないのか」
 声に怒気が含まれていた。
「そうじゃなくて--あいつにはああするしかなかったと思うんだ、俺が無理矢理--」
 皆まで言わせてもらえなかった。一瞬、徹の顔がぼっと赤く燃え上がったかと思うと、次の瞬間--俺のあごに鋭い衝撃が走った。俺はよろけてすぐ後ろの壁にぶつかってとまる。--いいパンチだった。
 徹はそれきり、殴ってこなかった、俺も殴り返さなかった。
 --1発は、正当だろう。
 彼にはその権利があると、俺は思った。



 霧雨の中を車を走らせる。
 あ、なんとか言うハーブをもらってくるんだったな--
 キャット・ミント。
 そう発音した明るい声が--無防備な笑顔が、不意に俺の脳裡に甦った。
 胸の奥がじりじりと灼けるように痛んだ。



 徹は規則正しく寝室の扉をノックした。
「--はい」
 聞き慣れた声が応える。ドアを開けた。
 部屋は全体に薄暗い。厚いカーテンから漏れた光の部分だけが、はっとするように明るかった。
「--徹」
 光の中から声が聞こえる。目を細めてみると、ベッドに放たれた光の矢の中に横たわった玲の身体があった。白い顔が微笑んでいる。
「おかえり--どうだった?」
「・・・ああ」
 いつもの歩調でベッドに近づく。
「大した被害はなかったよ。ほとんどは保険が掛けてあったしね。--詳しいことはまた役員会で報告するけど」
「そうか、疲れただろう・・・珈琲でも入れようか」
 半身を起こしかけた玲を、徹がとめる。
「いいよ、--必要だったら自分で入れるから」
 玲の動きがぴたっととまる。
 彼は徹をじっと見つめた。
「徹」
「--」
「・・・知ってるんだね」
 静かな声だった。
 徹はベッドに腰を掛ける。--できるだけさりげなく言った。
「--俊男に聞いたよ」
「--」
 玲は身体を起こした。
「身体は、--大丈夫なのか?」
「・・・ああ」
「玲」
「--」
「・・・彼は君を愛してるらしい」
 徹は床を見たままで、言った。
「--君は彼を、どうしたい?」
 玲は黙っている。
「・・・よく考えて、答えを出して欲しい。君の意志に従うつもりだ、彼も・・・僕も」
「--君も?・・・君は--」
「--玲」
 徹は振り向いて、玲を見た。
「--僕の気持ちは、わかってるだろう」
「--」
「・・・じゃ」
 徹は立ち上がった。ドアの方に歩く。
「--徹」
「--ああ、--もう少し寝てていいよ。時間になったら起こすから」
 徹は微笑した。
「徹」
 玲が呼ぶ。
「じゃ」
 徹はゆっくりとドアの向こうに姿を消した。
 残響が冷たく部屋に響いた。




24


 夕陽に染まった海にゆっくりと夜のとばりが降りていく。
 波頭が黄金に煌めきながら最後の光を放っていた。
「--玲」
 俺は客室から彼を呼ぶ。
 バルコニーの手すりに身をもたせていた玲が振り返る。
「--いい景色だね、ここ」
 俺は彼から少し離れて、海を眺めるふりをする。
「ああ、島のシルエットが綺麗だな」
 玲が俺の真横に来る。
 湿った潮風にふわりと髪がなびいて、俺の頬にあたる。
「--玲」
 てのひらに汗をかいていた。
「--いいのか」
 玲が振り向いて、俺を見る。
「本当に、--今日、このホテルに泊まっても--」
 彼が俺に笑いかける。
 瞳の中にもきらきらと波が踊っている。
 --どちらからともなく、お互いの顔が近づいた。



 玲の出した結論は、予想外のものだった。
 月に一日だけ、恋人として俺とつきあおうというのだ。
 それ以外の日はまったく今までどおり、会社でも、通勤でも、オフの日でも--
 信じられない言葉だった。
 俺はてっきり、もう二度と俺に会いたくないと言われるか、よくしても、あの夜のことはなかったものとして不問にする--くらいだろうと思っていた。もちろん、そんなことで俺の気が済まないのは自分でわかっていたから、何とかして玲に会う口実をつくって、もう一度必死でアタックしようと思っていたのだ。
 だから、徹はさぞショックだったと思う。彼は自他ともに認める玲のパートナーであったはずだ。それなのに浮気を公認させられるような形になってしまった。だが彼は俺に約束したとおりひとことも文句を言わず、玲に同意した。
 俺にとっては、降って湧いた幸運だった。たった月に一度、1/30の割合だがゼロよりはましだ。その日一日は堂々と玲を連れ出して俺の恋人にして--思いきり抱けるのだった。玲は俺のセックスを気に入ってくれたのだ、俺があの夜感じた俺たちの相性の良さを彼も感じてくれたのだと思うと、俺は飛び上がるほど嬉しかった。
 俺は月の最終土曜の朝に玲を家まで迎えに行き、日曜の朝に送り届けることになった。
 最初のデートの日、俺はがちがちに緊張して銀瓦の家のインターホンを押した。磨きたてたハイラックス・サーフに玲を乗せ、湾岸高速を飛ばして洒落たレストランで食事をし、海辺のホテルに宿をとった。まずまず好調な滑り出しに気を良くした俺は、次の月には山間の植物園と美術館に目的を定めたが、ここで大渋滞に巻き込まれた。やっと渋滞を抜けて横道に入り、排気ガスでぐったりした玲を横目に休めるところを探したが、入れるホテルがどこにもない。
 結局、散らかり放題の俺のマンションに玲を泊めることになってしまった。俺はベッドを窓際に寄せて皺だらけのシーツの上に彼を横たえ、泣きそうな思いで食料を買いに走った。手当たり次第に酒やつまみになりそうなものをかごに放り込む。玲は喜んで、美味い美味いといって全部食べた。
 その夜俺は、貧相なパイプ・ベッドの横の床に布団を敷いて、そこで寝た。ベッドに来ないかと誘われたが、寝相が悪いからと断った。自分のドジさ加減に腹を立てていた。
 真夜中に、ベッドから白い手が降りてきた。



 翌朝俺が目を覚ますと、玲の姿が見えなかった。あわててユニット・バスを覗くが、そこにもいない。何度か叫ぶ俺の声に、ニャーオと猫が応えた。
「こら、見つかっちゃったじゃないか--ここだよ、俊男」
 ガラクタで足の踏み場もないテラスで彼はリエを抱いていた。
「高台だから風が通るんだね、ここ--それにあそこに見えるのは、海かなあ」
 玲は眩しそうに目を細めた。



 その翌月から俺たちは、外に出歩くデートよりも、俺のマンションで過ごすことの方が多くなった。ふたりで食料品を買い込んで玲が料理の腕をふるい、音楽を聴きながらゆったりと一日をベッドで過ごす。俺は彼に、ほとんど服を着せなかった。新しく買ったダブルベッドのスプリングを弾ませ、俺たちは2匹の子猫のようにじゃれあって遊んだ。




25


 俺はセックスは、基本的に楽しむ主義だ。それで時々変わったドラッグ・ストアやアダルト・ショップに玲を連れていった。そこでいろいろなグッズを買っては試してみるのだ。最初はどうかと思ったが、玲には変な先入観がなく、無邪気で研究熱心なところがあった。だが結局、器具や薬剤を使ってのハードなセックスは彼の趣味に合わなかったようで、羽根や卵や氷や蜂蜜--といった自然素材に関心が移っていった。ゼリーも、よく使った。身体中に塗ってじゃれあうのも楽しかったし、指であたためてお互いのペニスを愛撫するのも良かった。
 玲が初めて俺に口でしてくれたのは、海辺のホテルだった。
 俺はそれまで、ファックはしても、好きでもないやつのものをくわえさせるのはあんまり可哀想だと思っていたので、強いて要求しなかった。だが、玲の白い指が俺のペニスに触れ、絶妙な動きで絡められた時--油断していた俺は一気に爆発してしまった。あわてて拭き取りゴムをつけた上に、あっという間に玲の顔が覆いかぶさってくる。熱い息がかけられ、舌で随所を責められる。喉の奥までくわえられ、敏感な部分を舐めまわされる。あまりにも強烈な快感に、俺はまた声をあげて爆発した。これほど繊細な指や舌の動きにあったことはなかった。
 玲が最初に俺のマンションに泊まった日、ベッドから降ろされた白い指を見て俺はそのことを思い出した。長く綺麗で、淫蕩な指。
 その指が、--持ち主の身体ごと、ベッドから俺の上に落ちてきたのだ。
 そして俺を強く抱きしめたかと思うと下着の中に滑り込み、ペニスに軽く触れてきた。俺も彼に手を伸ばす。
 俺は玲と全裸で抱き合い、ディープ・キスを重ねながら玲のペニスを握りしめ、彼の指の動きにならう。手の中で硬く張りつめていくそれを感じて頭が喝采を叫ぶ。今度は身体の向きを変え、ペニスに顔を近づける。--独特の匂いが鼻をついた。思い切って--先端を舐める。玲が軽い声をあげた。男のものを舐めるのは、とにかくこれが初めてなのだ。こんな感じでいいのかどうか--
「・・・俊男」
 しゃにむに舌を動かしている俺に、玲が低く声をかける。お互いのペニスにゴムをつけて、俺は玲の上に逆さまにまたがった。
 俺の身体の中心に、彼の熱い舌が絡められる。俺の口の中には、玲のものがぴくぴくと動いている。俺はソフトクリームを思い出し、甘いトッピングを吸い始める。俺のトッピングは吸われ放題だ。湿った息をかけながら、玲がクリームを舐めまわす。ぞくぞくするほど気持ちがいい。ソフトが今にも溶けそうだ。俺も負けじとクリームを食べる。玲の短い呻き声。頭がかっと熱くなり、俺のものもびくんと震える。玲が深々とそれをくわえ、またトッピングをこすりつける。熱い息。湿った舌。這うように動く10本の指。頭がつうんと痺れ出し、俺はあわてて玲に知らせる。玲の動きが早くなる。俺も夢中で口を動かす。舌が疲れる。あごががくがくする。頬が唾だらけだ。ソフトがどろどろに溶けたと思った瞬間、凄い快感が頭を突き破り、あっという間に俺は果てた。俺の喉の奧にも、彼の膨らんだゴムの先がぷるんと触れた。



 俺たちはそれから長い時間、抱き合って唇を重ねていた。




26


 玲とつきあうようになってから、俺は徹のことが気になっていた。
 ならない方が変だろう。1/30の日以外、ほとんど毎日顔を合わせているのだ。
 俺は玲の出勤や出張時に徹と交替でドライバーを務めていたし、毎日のランチタイムも3人でテーブルを囲む習慣だった。週末に3人で遊ぶこともあった。玲はどんな時でも冷静で、得意のポーカー・フェイスを崩さなかったが、徹はさすがに複雑な表情を表に出すことがなかったとはいえない。どうでもいい話は山ほどするが、玲と俺の話題は一切避けていた。
「なあ、玲・・・訊いていいか」
 何回めかのデートの時、とうとう俺は切り出した。
「いつも、おまえが俺と会っている間、--徹は家で何をしてるんだ?」
「--さあ」
 玲が器用にスパゲッティをフォークに絡める。俺たちはマンションのテラスにテーブルと椅子を持ち込み、そこで昼食をとっていた。
「裏手の山でトレーニングしてるか--時々はジムに通ってるみたいだけど」
「そんな話はしないのか?お互いに」
 玲が苦笑する。
「--彼だってデートの報告なんか、聞きたくもないだろう」
「--次の日の朝、おまえが家に帰った時はどうなんだ?--いるんだろ、あいつ」
「--いるよ」
「どんな様子なんだ」
「・・・普通だよ」
 俺はサラダを取り分けていた手をとめる。--普通って、その方が不自然じゃないのか?
「・・・何?--おまえたちって--もう、そこまで醒めてるわけ?--俺とつきあうっておまえが言い出した時も--言い合いもなかったって言ってたのは、俺に気を使ってたからじゃなくて、マジでそうだったのか?」
 玲は黙っている。残暑の陽射しがその貌に濃い蔭をつくっていた。
「--おまえたちふたりでいる時に、俺の話題とか、全然出ないわけ?」
「--うん」
「どうして」
「どうしてって--」
 玲は顔をあげた。
「僕から言い出すわけにもいかないだろう?」
 --ひょっとして、冷戦状態なのか?
「--玲、・・・あのさ」
「--」
「--あっちの方は、ちゃんと--」
 俺は以前に徹から聞いたことを思い出した。僕は毎晩玲を抱かずにはいられない、その上、1度だけではとても我慢できないんだ--
 玲は睫毛をあげて、ちょっと笑った。
「--してるよ、ちゃんと--毎晩」
「--」
 --あっそう。--何だ、俺は--馬鹿みたいだ。
「--そりゃ、つきあいはじめの頃のようにはいかないけどね、まあ--習慣というか」
 僅かにその顔が紅潮していた。--何だ、こいつ--俺とそっちの話をする時は平気なくせに、徹とのこととなると、途端に--
「・・・どっちがいい?玲」
 彼がきょとんと俺を見る。
「徹と、俺と。--セックスは、どっちがいい?」
 俺は玲をじっと見つめた。
 白い顔に血が昇っていく。
「徹の時でも、あんな声出すのか?」
 ガチャン、と皿にフォークが落ちる。玲は花が咲いたように真っ赤だった。
「--俊男」
「相性は、俺の方がいいよな」
「--」
「徹はあんなやつだから、どうせ一直線にガンガンとばすだけじゃ--」
「やめろよ!」
 玲が強い口調で遮った。
「--ルール違反だろう、相手のことをそんな風に言うのは」
「--」
「僕は徹の前で君の個人的なことを話したりなんかしない。君の前だって、徹のことをそんな話題に乗せたくない」
 --図星か。
 俺の方がセックスの相性がいいと、玲も自覚しているのだ。だからこんなに必死になって、徹を抗弁しようとしているのだろう。--徹のために。
「・・・ごめん、玲」
 悪かったよ、そんな思いをさせて。
「言い過ぎたよ--ちょっと灼けちゃってさ」
 俺は笑顔をつくった。
「おまえが赤い顔して、徹と毎晩してる、なんて言うからさ--灼けるだろ」
 俺はテーブルの上に置かれた玲の手を握った。彼がそれを見る。
 うつむいた首すじは、まだうっすらと赤かった。
 玲--好きなんだけどな、・・・俺だって。
「・・・ベッドに行かないか」
 彼は頷いた。




27


 夕暮れの風が目の粗いカーテンをなびかせている。
 一戦を終えてシャワーから出た俺は、リエのキャッツ・フードを補充し、缶ビールを手にテラスに出た。
 玲が振り向く。俺の大きめのTシャツを着て、テラスの端に陣取っている。そこは彼の指定席で、重なった甍の波の向こうにかすかに海が見えるのだ。玲はここからの眺めが好きで、暇さえあれば景色を見ていた。
「--ほら」
 俺の渡したビールを受け取り、美味そうに喉を鳴らして飲む。
 火照った身体を涼しい風が心地よく撫でていった。
 猫が足もとで伸びをする。
「--夏も終わりだな」
 話は自然に、このお盆に帰省した俺の故郷の話題になる。
 玲はいつも俺が宮崎にいた頃の話を聞きたがった。畜産農家で育った俺が牛のお産に立ち会ったり、豚に挟まれて圧死しかけたり、といった類のやつだ。目を輝かせて話に聞き入っている彼は本当に無邪気な子どものようで、俺は襲いかかりそうになる自分を抑えるのに苦労していた。
 この時もそうだった。玲が濡れた髪をかき上げるたびに俺の額には脂汗がにじみ、玲が身体を揺すって笑うたびに俺の喉はからからになった。
「--俊男?」
 玲が黙りこくった俺の顔を覗き込んだ時、とうとう俺は我慢できずにテラスの真ん中に玲を引き寄せて--力まかせに抱きしめながら、首すじに唇を這わせた。
「--やめろよ、--見えるよ、外から」
 赤くなって抵抗する彼の腰を引きずるようにして、部屋の中に入る。
 窓際のベッドで俺たちは絡み合った。
 俺だけじゃない、玲の方だって--と気づいたのはそれからすぐだ。脱がせた下着の前は濡れて、はちきれそうになっているお互いのものを弄びながら、玲は幾度か声をあげた。
「--俊男・・・」
 かすれた語尾。
 そして半身を起こし、俺の耳のそばでもう一度ささやく。
「--だめか?」
 その視線で、俺はことの意味がわかった。--バックに入れたい、と言っているのだ。
 俺は玲の顔を見た。少し緊張しているが、いつもの彼だ。俺の好きな玲だった。
 俺は軽い調子で答えた。
「--いいよ」
 ここまできたのだ、後には引けなかった。--少しは、好奇心もある。それに何より、玲も徹もやっているのだ。彼らにできて、俺にできないはずがない。ええい、まさか死にはしないだろう。
 俺は腹をくくった。




28


 俺は死にはしなかったが、確実にその一歩手前までは行ったと思う。--何せ、とてつもなく痛かったのだ。
 俺はベッド・サイドに立って上半身をベッドに伏せ、背後から玲の身体を受けた。彼は十分時間をかけて準備をし、俺をリラックスさせるよう努め、できるだけ慎重に入ってきたのだが--それでも予想をはるかに上まわる激痛に俺の喉から絶叫が飛んだ。体内で動きまわる他人のペニス--気味悪いどころの話ではない、野獣に内臓が喰い破られているようだ。ばりばり、ばりばりと俺の肉が喰われる。頭の奧が真っ赤になり、真っ白になり、真っ暗になって、--無数の光が点滅する。俺は意識を飛ばそうとする。全身から脂汗が流れた。
 --気がついた時、俺は背後から抱きしめられていた。熱く濡れた玲の胸がぜいぜいと荒い息を吐きながら、俺の背中にぴったりと押しつけられている。--俺の中には、まだ彼のものがある。そこだけがじりじりと熱かった。体内にもうひとつ心臓ができてしまったかのように、熱く、はっきりと脈打っている。--俺たちだけの、もうひとつの心臓・・・俺は目を閉じて、その鼓動を聞いた。
「--俊男」
 呼ばれて俺は、目を覚ました。--何秒間か、寝ていたらしい。
 玲がゆっくりと身体を離した。ずる、と奇妙な排泄感と--喪失感があった。いままで確かにあったものが、不意になくなってしまった感覚。ぽっかりと、俺の中にも空洞ができる。
「俊男--大丈夫か」
 玲の心配そうな顔。俺はようやく、笑顔をつくった。
 あたりはすっかり暗くなっていた。



 煙草の味がやけに濃い。
「--なんだか、まだ何か挟まってるような気がするな」
「--そう?」 
「明日起きて、内股になってたらどうしよう」
 玲は吹き出した。
「・・・可愛いな、俊男は」
「--やめろよ、そんなこと言われるの初めてだ」それも男に。
 玲は笑っている。
「・・・これって、--おまえが俺の--初めての男、てことになるのか」
「さあ--そうかな」
「おまえの時、どうだった--初めての時」
「何が」
「だから--さ、・・・感じたかとかさ--」
「ああ、・・・とにかく何にも知らなかったから、ゼリーも何もなくて」
「--」
「3日間出血が止まらなかったくらいだから、感じるもなにも」
「・・・壮絶だな、そりゃ」
「--でも、--嬉しかったけどね」
「--」
「身体は痛かったけど、・・・すごく嬉しかったな」
「それ--徹だろ」
 玲は答えなかった。うつむいて、少し笑う。
 俺はベッドに大の字になった。
 玲が俺の横に来る。
 目が合うと、俺の上に被さってゆっくりとキスをしてきた。あたたかい舌が絡み合う。抱きしめると玲の匂いがした。俺を息苦しくさせ、俺をやすらがせる玲の匂い。
「--俊男」
 玲が俺の肩にことんと頭を乗せる。
「・・・俊男」
 心地よい重さだ。 
 玲の瞼がだんだんと閉じていく。--無理もない、今日は消耗したからな。
 俺はそっと玲を横たえ、指で顔にかかった髪をあげる。
 子どものような寝顔だった。
 ・・・ゆるやかに、心の檻が溶けていくのを感じる。
 男とセックスすることがこんなにも落ち着いた気分になるなんて、俺は考えたこともなかった。これまでは、とにかく男の道具を使って女を鳴かせたり、いかせたりすることにオスとしての誇らしさを感じていたのだ。いや、オスたちの中でも秀でた、すばらしいオスであると女から認めさせることにのみ存在を賭けていたと言ってもいい。俺の背中には常に女の評価の視線があった。
 セックスは強くなくてはならない、早すぎてはいけない、女をやさしく扱わなければならない、男がリードして、必ずいかせなければならない、避妊は男の責任だ、ぐちを言うのは男らしくない・・・
 何をそんなに突っ張っていなければならなかったのだろう、と俺は思った。
 今日のように自然体でいいのだ。自分にとって気持ちのいいこと、相手にとって気持ちのいいことを率直に言い合って実行すればいいのだ。リードする日があれば、黙ってされる日があってもいい。責任なんてお互いさまだ。それで男らしくないと言われるのなら、俺は男らしくなくていい。俺は俺だ。誰がどんな評価をしようと、俺にかわりはないじゃないか。
 玲と抱き合った後、俺はいつも自分がすっぽりと包み込まれているような、不思議な安らぎを感じるのだった。それは多分玲が、衣も鎧も脱ぎ去った、裸のままの俺自身を見ていてくれるからなのだろうと思う。
 --それなら俺は、と俺は思った。
 俺は裸のままの玲自身を見てきただろうか。
 玲の、この綺麗な顔、見事な身体、完璧な仮面の裏に隠された、彼自身の裸の姿を見たことがあっただろうか。
 好きだと思い、愛していると迫り、何度も身体をかわしてきたが--
 彼の何を知っているといえるだろう。
 --頭の裏側が、すうっと冷えた。
 玲のことが知りたかった。彼が何を考え、何を思い、どうやって過ごしてきたのか、そのすべてを知りたいと俺は痛切に思った。




29


「--やあ」
 コロンとベルを鳴らして、指定したバーに徹は時間通り現れた。
 ブルーグレーのスーツに派手めのタイ、どうやら仕事場から直行のようだ。
「久しぶりだな、--おまえとふたりなんて」
 あの雨の日以来だった。--もう4か月にもなる。
「--で?」
 徹はカウンターの隣に席を取る。俺は煙草に火をつけた。
 横目でちらっと徹を見る。
「--どう?」
「どうって何が?」
 人なつこい笑顔に、一瞬、見とれる。--こいつはつくづく、男の色気があると俺は思う。--職場の女が騒ぐはずだ。
「世界経済の今後の動向と南極の気象予想」
 徹は苦笑した。
「--おまえの方こそ、どうなんだ・・・最近、猫が迷いこんだって聞いたけど」
 猫ね。
「元気だよ。--来たと思ったらすぐ行っちまう気の早いやつだけどね」
 徹は笑ってグラスを鳴らし、バーボンを喉に流し込んだ。
「--徹」
 俺は口火を切る。
「猫のことで--訊きたいんだけどさ」
 彼が振り向く。
「・・・母親のことで、何かあったのか?」
「母親?」
 濃い眉が曇る。
「--お袋さんの--夢の話・・・あの雨の日の」
 俺が初めて玲を抱いた夜、彼が寝言で母親を呼んでいた話をすると、徹の顔色が途端に変わった。それまでの勢いが嘘のように消え、薄暗い廊下の隅で--まるで亡者のようにゆらゆらと立っていた。それが何であったのか、俺は気になってしようがなかったのだ。
 徹の表情が硬くなる。
 射していた陽が急に翳ってしまったみたいだ。
「--あの時のおまえは、--どう見ても様子がおかしかった、・・・だから、あまり言いたくないようなことだってことは、わかってる--だけど」
「--」
「知りたいんだ、たとえどんなことでも、俺は--」
 玲のことなら。
「・・・俊男」
 低い声。
「悪いけど、その話は--したくないんだ」
「--どうして」
「--」
「どうして」
 俺は喰い下がった。
「俊男、--おまえらしくないぞ」
「玲のことなのか」
「--」
「玲のことなんだろ、だったら--」
「どうかしてるよ」
「とっくに、どうかしてるさ!」
 つい、--大きな声を出したのに気づいて、俺は声をつぐんだ。
 周囲は静まり返っている。
 --煙を吐き出してから、俺は低くささやいた。
「なあ、・・・徹」
 徹はうつむいてグラスを揺すっている。
「おまえが黙ってるんなら、--本人に訊いてもいいか」
 音がとまった。
 徹がゆっくりとこちらを向く。その顔が醜くゆがんでいる。
 俺は心の中で唇を噛んだ。
 徹--ごめん、・・・こんな手は使いたくなかったが。



 徹はカウンターに目を落とし、しばらくからからとグラスを揺する。
 俺は煙草をふかして、待った。
「・・・俊男」
 徹がぽつりと言う。
「おまえ、--玲が好きなんだよな」
「--」
「何聞いても--そのまま好きでいてくれるんだよな」
 変な言い方だった。これが恋敵に言う台詞か?
 徹はちらっと俺を見て、苦笑した。--それで決心がついたようだった。
「俊男」
「--」
「・・・玲には好きな男がいるんだ」






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